2012年8月17日金曜日

同性愛は悲恋か――ブーム(?)の「ゆり」作品を読む

「GIRL MEETS GIRL」の話を
読んで比較してみよう



 「ゆり」がブームだ。

 「ゆり」という言葉に対する是非はあるだろうし、その定義もさまざまなのだろうが、ともかくTVアニメ「ゆるゆり♪♪」が人気になるなど「ゆり」という言葉は広がってきている。別にこのアニメは私の好みではないし、ブームになったからという訳でもないのだが、何となくこのジャンルが気になっていた。
 ちょうどそんな時、『コミック百合姫』(隔月刊?)が半額くらいになっていたので買ってみた。


『コミック百合姫 2012年 09月号』

 パラパラとめくってみて思ったのは、一口に「ゆり」といっても「女性同士の恋愛物語」とはいえ、いろいろなタイプがあるようだ。また自分が「『ゆり』ならどんなタイプでも面白いと感じる」というほどこのジャンルに傾倒しているわけではないことだ。もともと読むマンガを絵柄で絞り込むほうでもあるので、本誌も全部は読めなかった。興味がそそられないのだ。

 しかしこれを手に取ったのは、
 「女性が同性を好きになる話」をいろいろと読んで比較してみよう
 と思ったからだった。




 思い起こせば、吉田秋生さんのこれらの作品群は昔からお気に入りだし、



 最近中村珍さんの『羣青』も腹に重たいものを感じながら、深く考えながら読んだばかりだし(
。特に登場人物が「差別と理解は似ている」「差別と理解は同じ」という言葉には考えさせられた)、



 これまた振り返れば『猫背の王子』を読んで以来、中山可穂さんの小説も好き……、



 ということを思い返すにつけ、どうやら自分が「女性が女性に恋に落ちる」という状況に強く惹かれることに気付いた。厳密に言えば「同性愛」でなければいけない訳ではなく、「悲恋」が好きなのかもしれないが、この際、そうした物語をいろいろと鑑賞してみようと思ったのだ。
……と書く時点で、「同性愛=悲恋」という図式を作ってしまっていることが分かるが、とまれ、まず読んだのがこれだ。


『オクターヴ』(秋山はる)

 これは全6巻で読みやすい。セックスの描写はあるけれど、ドギツくない。女性同士の恋愛を描いたマンガは学生が主人公のものが多いなかで、これはちょうど大人になりかけの女性と大人の女性との恋愛の形を描いていて、ほかとはちょっと違う。主人公の男性に対する感情の揺れ動きや葛藤がもっと描かれていたり、障害がもっと生まれていたりしたらいいのに、と思った。



『ロンリーウルフ・ロンリーシープ』(水谷フーカ)

 これは全1巻。絵柄がかわいく読みやすい。誕生日が1日違いの同姓同名の女性同士の恋。お互いに自分の思いを抑え込もう抑え込もうとしてたら、あっという間に終わってた感じがする。あっさりしすぎてる感じ。まぁ私が厳しいハードルを求めすぎているのかもしれないが。当初からこの話数で終わる予定だったのかどうか分からないので何ともいえないが、このジャンルでは2人の間だけで話が進んでしまう傾向が強いのではないだろうか(まだあまり読んでないうちに断言はできないが)。

 そして今読んでいるのがこれ。


『かしまし』(原作 あかほりさとる/作画 桂遊生丸)

 ちょっとトンデモな感じだが、もともと男の子だった主人公が宇宙人のせいで女の子になっちゃって……というストーリー。絵は好みで、4巻まで読了。ここに載せた5巻の表紙から見て取れるが、中心が主人公で、左右の2人の女の子との間で揺れ動く話。主人公は男の子時代から、フェミニンな感じだったようで、いきなり異性に替わってしまったことに対する葛藤はない。全巻読んで改めて総括してみるつもりだが、演出(コマ割り?)なんかがドラマティック。少女漫画的。

 最近は小説などでもこうしたトンデモ設定を前提としたストーリーがあることだし、「宇宙人のせいで」というようにギャグっぽくせずとも舞台設定はつくれたのではないだろうか。これならドラマにできそうな気がする。

 次に読もうと思っているのがこれ。


『GIRL FRIENDS』(森永みるく)

 たまたま見つけたブログで、恋愛モノとして最高とレビューしている方がいたので気になっている。まだ1冊も読んでいないが、果たして。

 あと途中まで読んでいるのがこれだ。


『青い花』(志村貴子)

 本当は有名なこれを最初に読み進めるべきだったと思っているのだが。舞台設定など、かなり『櫻の園』ぽい感じがしている。現在3巻まで読了。一通り読んでからこれも感想をまとめてみたいと思う。


「学生が主人公」が多い理由/
異性愛を検討せず同性に惹かれること

 この『青い花』などを読むにつけ思うのは(上にも書いたが)、「学生の話」が多いということだ。

 アニメを鑑賞しはじめたのだが、


『マリア様がみてる』

 これも舞台は学校だ。

 たしかに「女子校」は「女性しか出てこない」という舞台を設定する上で便利だということはあるでだろう。
 それに、主人公たちが学生や十代という作品・学校を舞台にした作品は、何も同性同士の恋愛話に限ったことではない。異性同士の恋愛を描いた作品にも多い。恋愛経験がまだ乏しいからドラマを生じさせやすいことや、誰もが学生時代を経験していることもあって感情移入もしやすいことが理由だろう。
 こんな気持ちになったことはないだろうか。好きになった人のことしか考えられず、その気持ちが永遠に続くような――。しかし現実にはいろいろな障害が起き、気持ちがふとしたことから離れてしまうことは珍しくない。そこでドラマが生まれる。恋愛相手が同性だろうが異性だろうが、登場人物の気持ちを揺れ動かしやすい世代は描きやすいのだろう。

 しかし、いくつかの作品を読んでみて特徴的に感じたのは、登場人物が男性が好きなのか女性が好きなのか“まだ”分かっていない人がいるということだった。「男性との恋愛」を経ずに「女性と恋愛」するキャラクターが存在するということ。「男性と付き合ってみて違和感を覚えた」とか、付き合わないまでも「男性を恋愛対象として考えてみたがダメだった」など“考える”という行為を経たとかいうこともなく、自然と女性に惹かれたという形だ。例えば『オクターヴ』や『青い花』がそれだ。『かしまし』もそうかもしれない。

 私は何も「女性に対する気持ちは恋愛ではなく憧れであって、最終的に男性を好きになるもんだ」と言いたいわけではない。「男性を意識してみた後でないと、女性に対する意識が本物かどうか分からない」というつもりもない。

 しかし、今後こうした作品を読んでいく上で、「恋愛感情」のベクトルが“異性ではなく”同性に向かうきっかけや過程については、(自分が異性愛者であることが実によく分かる視点だが)特に注目したい点と感じた。ここで感想を簡単に述べた作品も含めて、もう少しいろいろと読み進めて分類や分析をしてみたいと考えている。