2013年9月27日金曜日

この「いいね!」ボタン、コメント書けるのか、書けないのか? ドキドキ……WPのプラグインでコメント欄が見切れる症状の改善

Facebookの「いいね!」を押そうと思ったとき、コメントが書けるのか書けないのかが分からなくてイライラすることはないだろうか。

たとえばこんな感じ。


クリックしてもコメントはできず、「いいね!」の数が増えるだけのサイトなのか、


それともコメントが追加で書けるのか。

コメント欄もこんなふうにポップアップが別に開く場合もあれば、


ボタンから吹き出しのように出る場合もある。


たとえば変なニュースや、共感・支持はできないけど面白い話を共有したいときに「いいね!」を押すだけだと、自分がその話についてどういう立場なのか表明できない。

だから「いいね!」押しっぱなしではなく、一言でも言い訳コメントを書きたいと思いながら押すと、そういうサイトに限ってコメントが書けず、「いいね!」の数が増えるだけだったりする。

小心者で誤解されたくないので、わざわざ自分のFBページに戻って、「いいね!」を取り消したり非表示にしたりする。


困ることは他にもある。コメント欄が出るには出たが、見切れてしまう場合だ。

東京4万暮らしでも WP Social Bookmarking Light という各種SNSサービスにポスト、コメントができるプラグインを使っていたのだが、そのまま使うとこんな感じになってしまっていた。



スタイルのところに

.wsbl_facebook_like iframe{
max-width:none !important;
}
と書き加えた。

またfacebook Likeボタンの幅が広すぎたので100pxほど縮めたほか、mixiのボタンやTumblrのボタンは取ってみた。


これでようやく投稿ボタンが表示された。ググればすぐに分かったのだな、やれやれ。


2013年9月26日木曜日

goo、livedoorがフリーメールアドレス提供中止



gooがフリーメールをやめると聞いてちょっと驚いた(有料版は継続。200円か290円)。

でも、あれ? 待てよ? と思って調べてみたら、livedoorもやめるというニュースを聞いたんだった。

いずれのサービスも、やはりgmailには叶わないということだろうか。フリーでし続けても割が合わないということなのだろう。

自分はgooやlivedoorのメールアドレスは、昔一時期使ったことがあったかもしれないが、今はともに使っていないので特に影響はなく、livedoorのニュースを聞いたときも強く意識はしなかったのだった。

そんな自分も、今年に入ってoutlook.comのメールアドレスを取得した。自分の名前のアドレスを取っておこうと思ってとりあえず取得したのだが、gmailを頻用していることに代わりはなくあまり使っていないのだが。

outlook.comにしてもgmail.comにしても、メール以外のサービスにつなげられるからこそ無料で提供し続けられるのだろう。outlook.comのサービスは、今やOSのインストールにも必要になったMicrosoftアカウントありきの話だ。gmailはgoogleが広告で儲けていることから、受信トレイを開くたびに広告が出せるのだが、その意味ではgooやlivedoorも同じことができそうな気はする。しかしそこに勝ち目はないということだろうか(それにしてもyahoo.co.jpの受信トレイの広告はうざすぎる)。

gooもlivedoorもブログやフリーメールアドレスの代表的な存在だっただけに、これらのサービスが終わる中で、自分がgmailやoutlook.comは利用し続けていること(さらに言えば、outlook.comは今年新たにアカウントを取ったこと)を考えるにつけ、時代は変わったのだなぁと思わずにはいられない。



ちなみに、フリーで取得できるメールアドレスは不可というサービスが時々あるが、プロバイダーが提供しているアドレスが無料で取得できる(ところもある)ということは意外と知られていない。

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2013年9月14日土曜日

【不動産プラグイン】「トップ物件表示」ウィジェットで2段目がズレる●追記アリ


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不動産プラグインでは新着物件がウィジェットで(トップ物件表示)表示できるのだけれど、なぜか上の画像のように表示がズレることがある。

 ズレた部分がこれ
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物件の表示数や表示する項目はウィジェットのメニューで選べる。東京4万暮らしでは、8件の表示で、「タイトル」と「家賃」(価格)、「路線・駅」の3項目を表示させている。ほかにも「地域」や「間取り・土地面積」、「物件種別」(賃貸だけでなく売買もある)なども表示できる。

 ズレる症状がいつも出るわけではないので、どうしたものか分からず、仕方が無いので当面は表示数を4件に絞っていた。ズレるのは決まって2段目だったので、4件のみの表示なら1段で収まる為にズレることはないからだ。

 しかしそれでは常に4件しか表示できない。

 しばらくサイトを運営していると、やはりこの「トップ物件」(東京4万暮らしでは「新着物件」のコーナーとしている)のところに表示された物件の閲覧数が他と比べてもかなり多いことが分かったので、せめて8件(2段)表示はさせたいと思ってちょっと触ってみた。

 結局なぜズレるのかを見ていると、表示されるセルの中のテキストの段数と関係していることが分かった。

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上の画像を見ると、上の段の4件のセルはすべて「5行」で収まっている。例えば一番左上の南青山の物件は、

南青山のお洒落なシェアハ
ウス4万円台!
4.2万円
東京メトロ銀座緯線表参道駅
→物件詳細

となって5行。

その横のシェアハウスは

女性限定シェア駅徒歩1分
4万円
東京メトロ丸ノ内線中野坂
上駅
→物件詳細

でやはり5行。

 要は、表示させる項目にもよるのだけれど、すべてテキストが同じ行数に入るようにすればいいということだ(実際は、1段目のセルのテキストがすべて同じでなくても、少ないセルがあっても揃う)。具体的には、タイトルは基本2行にわたるようにしておき、路線・駅名が長くなると2行にわたる場合は1行に収める、というように運用している。

 東京4万暮らしの場合は、表示させているのが、タイトル、家賃、最寄り路線・駅名の3つだけだが、他の項目も表示させる場合はまた行数が変わるだろう。

 ちなみに下の段は行数が違っているが、この場合はさらにその下の段がないので大丈夫。しかしここで表示件数を12にして3段目を表示させると、3段目の一番左のセルの部分がズレてしまう。

● 追記ここから

 と、こういうエントリを書いたら、早速公式からありがたいご指摘をツイートでいただきました。



なるほど、そういうことだったんですね。スクリプトの名前からしてもう、これが原因だと分かります。これは直さねば……

@nendeb の中の方、素早いご指摘ありがとうございました!

2013年9月12日木曜日

林真理子さんの清々しさに感銘。秋元+鈴木対談はもったいないーー新書『野心のすすめ』『天職』感想

 

 少し前のことですが、林真理子さんの『野心のすすめ 』を読みました。林さんの小説は女性向けというイメージが強かったせいか読んだことがありませんが、タイトルや帯の「“高望み”で人生は変わる」といったコピーを見て、時代への逆行感がとても清々しく感じられ、手に取りました。既にかなり売れていたことも、読まなければと思った理由です。

 林さんにはすごく勝手な、なかなか書きづらいイメージを持っていました。アグネス論争しかり、いまはきれいになられたと思いますが、昔のイメージは決してそんなものではなかったと思います。しかし、本書を読んで、また同時期に複数出演されたTV番組(情熱大陸ほか)を観て、林さんに好感を持つようになりました。

 まず林さんがこれまでどういう人生を歩んできたのか、何を考えて来たのかを読むだけでまず楽しかった。直木賞作家で、ベストセラーを連発、多数の作品が映画化、ドラマ化されているのは知っていましたが、その作品や考えに直接触れたことがありませんでしたから。彼女は自分のコンプレックスをしっかり認め、あきらめずに努力してきた。その努力を隠さず書いていますが、実は若いころは易きに流れていた時代が意外にもあったそうです。「はじめに」でもハッキリと、上を目指すことを特に若い人にススめています。

 そして、若い世代に蔓延している「ユニクロと松屋でオッケーじゃん」という考えを、しっかりと彼女なりの理論で否定し、心配します。

 「人によっては、努力することよりも、野心を持つこと自体のほうが難しいのかもしれません」とした上で、野心を持つことができる人は、「自分に与えられた時間はこれだけしかない、という考えが常に身に染み付いている人」と分析。その上で、「私が最近の若い人を見ていてとても心配なのは、自分の将来を具体的に思い描く想像力が致命的に欠けているのではないかということです」という。そういう考えだからこそ、「ユニクロと松屋でオッケー」という発想になるのだろうと。

 このあたりも含めて、未読の方は是非読まれることを勧めますが、印をつけた箇所をいくつか引用したいと思います。

やってしまった過去を悔やむ心からはちゃんと血が出てかさぶたができて治っていくけれど、やらなかった取り返しのつかなさを悔やむ心には、切り傷とはまた違う、内出血のような痛みが続きます。内側に留まったままの後悔はいかんともしがたいものです(p.25 第一章 野心が足りない)。
野心は習慣性のある心でもあります。勝ち気な人って非難されたりもしますけど、一度も勝ったことがない人は勝ち気にさえなれない。どんなに小さいことからでもいい。人に認められる快感を味わい、勝った記憶を積み上げていくと、人格だって変わっていくんです(p.174 第五章 野心の幸福論)。 
同じ時間を生きているのに、私たち人間には知識や器の差がある。この差はどこから生じるかろいうと、隙間の時間にもどれだけ積極的に自分の人生とかかわっているかの違いに拠るところが大きい(p.183 同)。
また、女性が専業主婦になることに対して否定的な持論を展開、働き続けたほうがいいと述べておられますが、まったくもって賛成でした。

 (読んだことがない/あまり好きじゃない)林さんの本だから……と食わず嫌いの方がいらしたら、先入観持たずにまず読んでみていただきたいと思います。



 同時期に秋元康さんと鈴木おさむさんの『天職』も読みました。内容はといえば、さすがの二人、とてもタメになったし、たくさん印も付けました。

 でも何だか軽かった気がします。よくよく分析したわけではないですが、やはり2人ともビッグすぎて、それぞれの哲学が掘り下げられていないことが原因ではないかと思います。
 秋元さんも鈴木さんも、自分の考えを述べるだけで十分、本になる。なのに、対談となるとお互い気を遣って、自分のことばかり話したりしないので、どうしても表面をなぞるような感じになってしまったのではないかと思いました。

 たとえばどちらかがインタビュアーに徹するとかいった形なら、また違ったのかもしれません。

 たしかに共にTV業界で活躍してきた二人だからこそ出た話もあるのでしょうが、うまいインタビュアーだったらあれくらいは引き出せたと思います。

 でも、面白いです。


2013年9月6日金曜日

ライブバージョン聴きたい?聴きたくない?ーー「好き」とはどういうことか

※画像はイメージです

ダウンタウンの松ちゃんがずっと昔、トークで「好きなアーティストのライブに行って好きな曲が演奏されると思ったら“ライブバージョン”でCDと全然違ってて、『余計なことをするな』と思った」と言っていて、「あぁ、その気持ち分かるなぁー」と思ったことがある。

 しかしその後しばらくたってから、「あれ? 間違いだったかも」と思い直した。

 なぜなら、「好きなアーティストが歌うのなら、どんな曲でもどんな歌い方でも聴きたいと思うものではないか?」と思ったからだ。たとえ聴いたことのないような曲でも、その人が歌うだけで聴きたくなる。有名な曲でなくても、たとえ無名アーティストの曲のカバーでも、とにかく何でもよかったりする。それが「好き」ということではないかーー。

 それに、CDと同じ歌い方が聴きたいならCDを聴けばいいわけだ。その瞬間、好きなアーティストが歌いたい歌い方をして、それを聴ける経験は、その日その瞬間、その場にいたからこそでもある。これはチケットを取ってわざわざ出かけて行ってはじめて体験できることだろう(DVDやBlu-rayで後で見られるし、最近は配信もしているが)。

 その一方、さらに改めて考えてみると、好きなアーティストの楽曲だからといってすべてが好きというわけでもなかったりする。

 そこで、「本当に好き」とはどういうことなのだろうかと考えた。
 自分なりの結論をいってしまえば、「好き」のあり方はいろいろあり、大別して「全肯定」と「是々非々」がある。また「こういうあり方でないといけない」ということはないから、それぞれの「好き」を楽しめばいい、ということになると思う。

 ネットでは、あるアーティストの狂信的なファンが、そのファンに対する批判的なコメントをした人に対してとにかくdisるという光景が見られる。自分も以前、あるアーティストに対してかなり気を遣いながらも、能力的にまだまだである点について指摘したら、(かなり気を遣っていたにも関わらず)感情的なリアクションをされたことがある。そういう場合、まず冷静な議論はできないからスルーカを発揮するよりほかない。

 偏見かもしれないけれど、そういう思い込みの強いファンは若い人に多いのではないかと思う。何もジャニーズのファンが皆そうとは言わないし、若くてもマチュアな楽しみ方のできるファンもいるだろう。逆に年を取ったイタいファンがいることも承知しているが。

 アイドルファンの中には楽曲の善し悪しを問わず、支えるためにCDを買うという層がいる。彼らは好きなアイドルの活動(CDリリース)に対しては「全肯定」しているといえる。それに対して批判的な意見もあろうが、でもCDが売れなきゃ活動が続けられないわけだから、買い支えるというのは一つのあり方だろうと思う。
 ただその中には「買うけれども内容についてはダメなものはダメという」という人もいるかもしれない。そう考えると、セールスという尺度だけでは、そのCDリリースという活動に対しての評価はしきれない。

 「全肯定」という好きのあり方について感じるのは「羨ましい」ということだ。とかく批判をするのがカッコいい、ツッコまなきゃいけないと思いこんでいる人が多い時代にあって、「とにかく好き」といえる対象を見つけた人は幸せではないだろうか。その良さが分からない周囲の人間からみたら「??」でいっぱいかもしれないが、何かに、誰かに夢中になれること自体はとても羨ましいと思う。

 自分には今、好きなアーティスト・歌手が数人、数グループいるが、必ずしも「全肯定」はしていない。でもそれが「本当に好き、ということではない」とも思っていない。

※ 本エントリはリップシンクに対する批判ではありません。