2013年10月24日木曜日

「君が男でプリキュアが好き、ピンクが好きでも何も悪くないんだよ」

© ABC、東映アニメーション


ある保育園児(男の子)の話です。

保育園の行事で水筒を持参しなければならなくなったのですが、自分の水筒が壊れてしまったので、おねえちゃんのを借りたそうです。お姉ちゃんのですから、女児向けのデザインで、絵柄はプリキュアだったそうです。

こう聞くと、「女の子用の水筒を持たされて、男の子は嫌だったんじゃないの?」と思うかもしれませんが、彼の場合は違っていました。


2013年10月20日日曜日

アメリカの性、世界の性――映画「私が愛した大統領」「31年目の夫婦げんか」を観て

© 2012 Focus Features LLC. All Rights Reserved.

 ビル・マーレイがフランクリン・ルーズベルト大統領(FDR)を演じた映画「私が愛した大統領」をちょっと前に観た。邦題が「私が愛した〜」となっているように(原題は「HYDE PARK ON HUDSON」)、FDRの愛人が登場する。どこまで史実か分からないけれど、かなりダラしなかったということだろう。
 この作品で驚きだったのが、車中の大統領を”手でする”シーンがあるということ。もちろん、そのものずばりではないけれど、車が揺れる描写で何をしているかは分かる。いくら昔のこと、ユーモアが評価されるお国柄といっても、その描写が許されるって何なんだ?と思ってしまった(それで制作がアメリカじゃなくてイギリスだってところがまた……)。日本で首相をこうやって描くことなんてちょっと考えられないのだけど。



 別の日には、メリル・ストリープとトミー・リー・ジョーンズが31年連れ添って倦怠期の夫婦を演じた「31年目の夫婦げんか」を観た。時間的な都合で偶然観たのだけれど、結構いろいろ考えさせられる内容だった。

 話の筋はこう。ダンナは仕事に夢中で、家ではテレビの前に座ってずっとゴルフ番組を観るだけ、プレゼントはアクセサリーではなくて家電、セックスはずっとない。妻は女性扱いしてもらえないことに嫌気がさしており、意を決してカウンセリングに(HOPE SPRINGSという街にあるクリニックへ)行こうと提案する。ダンナは嫌がるのだけれど、結局は行くことになり、少しずつ変わっていく、というもの。

 下品だという感想もあるようだけれど、決してそんなことはないと思う。途中、ダンナが妻を女性扱いしていないこと、セックスしようとしないことをはぐらかすシーンで、館内で笑いが起こったが、妻の気持ちを考えると笑えなかったし、「笑うとこじゃねぇだろ」って思ってしまった。世にはたくさんあんなダンナさんがいて、苦しんでる女性がいるのでしょう……。
 テーマは必ずしも老いと性だけではないですが、なかなか踏み込めない題材によくあそこまで正面から挑んだと思います。名優2人だからこそ成り立ったのかもしれません。



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2013年10月18日金曜日

百合人文化祭に参加してきた

『百合人』という雑誌の創刊を記念したイベント「創刊!百合人(ユリスト)文化祭~百合 is PUNK!~」が10月14日、阿佐ヶ谷ロフトで開かれたので行って来た。登壇したのは、宇井彩野さん(百合人企画代表、フリーライター)、 藤山京子さん(覆面ライター)、 リリィ・マイノリティ(レズビアンアイドル)さん、そして 森島明子さん(漫画家)。正直、お目当ては森島先生で、イベントがあるのを知ったのも森島先生のツイートだったのだけれど、全体的に面白いイベントで、入場料1000円は安かった。



 同誌は未読、森島先生以外の方はよく知らずに行ったので、冒頭、リリマイの歌で幕開けだったのだが、失礼ながら「誰だ、誰だ?」と思ってしまったが、意外と(失礼)見入ってしまった。

   イベントの主な内容は、百合短歌を参加者からも募って披露しあうコーナーや、森島先生への質問コーナー、百合映画の紹介コーナーなどだった。以下でUst録画が観られるが、参加者の百合短歌はどれも良かった。なぜあの短時間に思いつくのか不思議だった。「老い」が最初のお題だったので、自分も考えて、いくつかシチュエーションは思い浮かべた。

 たとえば、初老のおばと、彼女を慕っている高校生くらいの姪の話。姪の気持ちに気づいてはいて、昔の自分も年上の女性に憧れたことを思い出して微笑ましいけれど応えられない(でも心のどこかでは抱きしめてあげたいと思っている)おばが、姪につけられた今どきの名前を可愛いと褒めるんだけど、姪のほうは、「おばと同じがいい」という子どもっぽい発想から、「おばさまみたいに『子』がついてる名前がよかった」みたいなことを言っておばを困らせる、みたいなのを妄想。

 結局31文字にまとめきれずタイムアップ。いくら考えても締め切りに間に合わなきゃダメですね。


Broadcast live streaming video on Ustream  

自分はまだ百合歴が浅いので、登壇者の皆さんが時々触れる作品などが参考になったし、「まだまだ勉強しなきゃいけないことはいっぱいあるな」と思わずにいられない2時間弱だった。

 終演後、登壇者の方とお話もしてみたかったけれど、何となく気が引けてご挨拶はできず。でもちゃっかり森島先生にはサインをいただいて帰りました(ありがとうございました!)。

 参加者の皆様、お疲れさまでした。http://akicocotte.weblike.jp/

2013年10月11日金曜日

「円谷」の名の責任――円谷英明『ウルトラマンが泣いている 円谷プロの失敗』を読んで



制作費の相場は200万。局から破格の550万もらいながら1000万もかけて番組を作っていた

 特撮の神様・円谷英二氏の孫、円谷英明氏の『ウルトラマンが泣いている――円谷プロの失敗 (講談社現代新書)』を読んだ。帯にも「なぜ創業者一族は追放されたのか」とあるように、要は円谷プロにおける一族の内紛の裏側が、筆者の立場から描かれたものだ。自分は熱心な特撮ファンというわけではないので、「あのスーパーヒーロー・ウルトラマンをめぐり、円谷プロの内部や周囲ではこんなにもいろんなことがあったのか」と大変興味深く、一気に読み終えた。
 章タイトルを読むだけでも興味をそそられると思う。

 第一章 円谷プロの「不幸」
 模型作りが大好きだった祖父/四一歳で早世した二代社長 ほか
 第二章 テレビから「消えた」理由
 東宝主導のリストラ/「ウルトラマン先生」の無謀/TBSとの関係悪化 ほか
 第三章 厚かった「海外進出」の壁
 問題は「同族経営」ではない ほか
 第四章 円谷プロ「最大の失敗」
 遅すぎたウルトラマンランド閉園/偉大なるマンネリではいけなかったのか ほか
 第五章 難敵は「玩具優先主義」
 デザインは玩具優先に/圧倒的だったバンダイの影響力 ほか
 第六章 円谷商法「破綻の恐怖」
 番組予算のからくり/ハワイやラスベガスで豪遊 ほか
 第七章 ウルトラマンが泣いている
 三度目のお家騒動/急転直下の買収劇/円谷一族追放 ほか

 1974年生まれの僕にとってのウルトラマンの記憶といえば、幼稚園のころ、エースやレオが好きで、仮面ライダーごっこではなく、ウルトラマンのお面を先生につくってもらって遊んだこと。あとは小学生になってから80や、アニメのザ・ウルトラマンを観ていたことくらいだ。特にお面を作ってもらったときすごく嬉しかったことを覚えている。円谷つながりの記憶では、これも幼稚園のころ、ゴジラの大ぶりな人形が雑誌の懸賞で当たったことを覚えている。

 また、これは数年前のことだが、編集長を務めていた雑誌FJのリニューアル2号でウルトラQを取り上げたことがある。その時はスタジオを借りてカネゴンに来てもらった。Qのファンを公言しておられた宮台真司さんに登場いただき、表紙にも出てもらったカネゴンと宮台さんの2ショットを中吊りで使わせてもらった。特集では、円谷プロの造型師である品田冬樹さんと宮台さんの対談、桜井浩子さん、イラストレーターの開田裕治さん、モリタクさんらのインタビューを掲載した。



 その当時も、円谷プロの窮状については噂では聞いていた。ちょうどフィールズの傘下に入った関係で渋谷に引っ越したころだったように思う。

 本書を読んで思ったことは、「これでは経営がうまくいくはずがない」ということだ。
 もちろん、そうした評価を後からするのは簡単だし、放逐された創業者一族が書いた一面的な見方であることも忘れてはいけない。しかし、その分を差し引いても……と思わずにはいられないほど杜撰なものだった。

 途中、「問題は同族経営ではない」という見出しがあり、「おいおい」とツッコミながら読み進めると、筆者はこういう見解を示していた。


円谷プロの経営の問題は、同族経営ではなく、ワンマン経営にあったのです(p.88)。

  たしかにそうなのかもしれない。そう思ってしまうほど、過去の社長に対する評価は厳しい。本書の言い分が正しいとすれば、「そりゃ破たんするわ」というようなありえない経営、どんぶり勘定ぶりだ。特に経費の無駄遣いはひどかったようだ。

 しかし、それだけで経営が傾いたわけでは決してない。

 制作にコストをかけすぎなのだ。ともすれば作り手の満足のために、コストを考えずにものづくりに没頭できる環境ができてしまっている。
 制作者の「手を抜いて作るのは視聴者に失礼だから手なんか抜けない」という気持ちは分かる。「作り手として自分が満足できるものを作りたい、でないと伝わらない」という言い分も分かる。しかしサークル活動じゃないんだから、そんな状態で続けていていいはずがない。たとえば「1000万もらって3000万使うけど、あとで儲かるから大丈夫……」なんてことがずっと続くわけがないのだ。

 見出しにも書いたが、30分の子ども番組の制作費が200万円が相場で、大人向けのドラマが500万円という時代に、円谷や550万ももらっていた。それだけ期待がかかっていたというわけだが、1000万近くかけて作っていたというから、そりゃもう大変なことである(p.33)。
 筆者はまたこうもいう。

円谷プロの経営陣は、伝統的に実業界の集団ではなく技術者集団で、経営感覚はあまりなかったと思います。

 そう、だからこそ外部の経営者が必要だったはずだ。
 筆者が「問題は同族経営ではない」とした理由は経営問題の背景について、筆者はこう説明している。


 その原因は同族経営にあると言われているのですが、私はこれに異論があります。一九七三年に叔父の皐さんが三代社長に就任し、皐さんの死後、四代社長には息子の一夫さんがなっています。その間、我々円谷一の家族は、円谷プロの経営の中枢には関与できなかったのです(p.87)。

 たしかに円谷英二氏の長男である一氏(二代社長)の子ども(二男である筆者ら3人)が中枢にいられなかったのは事実なのだろう。しかし一氏の家族が経営の中枢にいたからといって成功していたかどうかは疑問だ。

 円谷英二は特撮の神様だった。それは間違いない。
 しかし名経営者だったわけではない。
 そして、特撮の神様の子どもや孫が同じ分野で秀でているとは限らない。経営にたけているとも限らない。
 円谷英二という不世出の天才を活躍させる場としての円谷特殊技術研究所は不可欠な舞台だったのかもしれないが、その組織の持続と成長を、子孫に任せることには何の意味もない(というといいすぎか。大した意味はない)としか思えない。どうだろうか。
 それは何も円谷、映像ビジネスということに限らず、企業の事業承継において言えることなのだろうけれど。

 筆者は同じp.88にこうも書いている。


私は円谷エンタープライズや円谷コミュニケーションズに出ていた間、いずれ必ず円谷プロに戻って、かつての円谷プロのものづくりスピリットを取り戻したいと思っていたので(後略)

 この「ものづくりスピリット」は曲者だ。
 気持ちの問題に置き換えると麗しく聞こえてくるのだが、熱い気持ちがあるからといって成功するとは限らない。また「ものづくり」という言葉が出ると、聞こえがよく、専心することが麗しい、美しいことのように思えてしまう。
 だが芸術でもないのに、コストを湯水のようにかけ続けてはいけない。やる気と情熱は、必要条件だが十分条件ではない。熱い気持ちと冷静な判断力がなければ、いいものを作っても届けることができなくなり、やがては作れなくなってしまう。

 といいつつも、同情してしまう側面もある。
 筆者によれば1971年のキャラクタービジネスの売り上げは20億円で、円谷プロには収入として6000万入ってきたという。本書には「著作権ビジネスという麻薬」という小見出しもあるが、まさに感覚を麻痺させるには十分な大金といえる。「いま作るのにお金がかかっても必ず回収できる」と思ってしまっても仕方ないのかもしれない。
 それに日本は今と違って成長期にあった。消費が増えていくことも予想されていたのだとすれば、イケイケになってしまった当時を今から責めるのはさすがに気が咎める。

 たらればの話をしてもせんないのだが、筆者ら一族の一部が中枢にいたからといって成功したのだろうか……。
 筆者が書いた以下の文は残念ながら認めざるを得ない。
 
ウルトラマンが泣いているーー今にして思えば、現実の世界でウルトラマンを悲劇のヒーローにしてしまったのは、我々円谷一族の独善か、驕りだったのでしょう。


* * *

 本書の引用で面白いものがあったので合わせて紹介したい。庵野さんが特撮の将来を憂いて(?)語ったものだが、その通りだと思った。


特撮物はテレビでの空白期間が長すぎて、現状では若者に定着しづらいんじゃないですかね。(中略)空白期間が15m年近くあるわけで、これはなかなか取り返しがつかないと思います、今の30歳から20歳くらいまでの人は、特撮には何の興味もないですからね。(中略)僕等のせいだはアニメと特撮という共通体験があるんですけど、今の若い人はアニメとゲームなんですね、共通言語が。特撮をほとんど見ていない、というか興味もない人がほとんどです」
庵野秀明(2001年、 『円谷英二 生誕100年』、河出書房新社)

 特撮ファンではないといったが、特撮は好きだし、もの作りに従事している人たちには頑張ってほしいと思うし、日本の特撮業界、そして円谷プロには再び輝いてほしいと思った。


2013年10月5日土曜日

開かないと分からないタイトルをつけるな――BBS、メール……知らずにされてる低評価


Androidの脱出ゲームgardenでなかなか先に進まないので、アプリからリンクがはられた公式のBBSに行ったら、質問がたくさん並んでいたのだけど、題名がひどいのばかりで辟易としている。たとえば

分かりません

教えてください

助けて!

そんなスレタイみても、助けられそうかどうか分からないし、後から疑問を解消しに来た人の参考にもならない。
この場合は

手帳の鍵が見つかりません

油差しに油が入れられない

小箱の数字が合わせられません

とか書けばいい、というか、書くべきなのだ。



何度か書いたり言ったりしたが、これはメールの件名やファイル名と同じだ。

開かないと何か分からないメールやファイルを送ってくる人が、いまだにいる。

友達同士の私信ならともかく、ビジネスのメールで件名を具体的につけないなんて、気が利かなさすぎること◎◎のごとしだ。

細かいことを言うなぁ、と思う人いるだろうけど、それって相手のことを全然考えてないってこと。仕事では致命的だ。メールなんて毎日いっぱいくるんだから、緊急度をはかってもらう気遣いくらいすべきだ。上司が部下に送るならともかく、上司や同僚や取引先に送るときは考えたほうがいい。でないと、

気がきかんやつだな

という低評価を心の中でされるだけで、相手はそのことを決して教えてくれない。


メールの話ついでにいえば、Cc、Bccを使いわけられない人も、脱力する。こっちがCcつけて送ったのに、送信者だけに返信するとか、「何か考えがあってのことだろうな?」と思ってしまう。





言わないけど(←だから深刻)。

2013年10月4日金曜日

お前なんか嫌いだ――ビジネスで嘘をつく人や会社に「倍返し」

嫌われたくない気持ち

誰かを嫌いになることはあまりない性格と自分では思ってきたが、最近はそれをやめようと思っている。いや、さらにいえば、積極的に「嫌いな人・こと・もの」をつくろうと思っている。

 曽根綾子さんや加藤諦三さんの著書は有名だが、僕も多分加藤さんの本のタイトルにあるように、「嫌われたくない」という心理作用があって、誰かを嫌いになったりしなかったのだろうと思う。

嫌われたくないという気持ちは、自信の無さの現れではないかと思う。自分に自信があれば、嫌われたって構わないと思えるからだ。だからといって、誰かや何かを積極的に嫌おうと思っているのは、何も自信がついたからというわけではない。

 「キリがない」ということにようやく気づいて来たからだ。

 自分も来年で40歳になる。まだ40歳ともいえるが、自分のこととして考えるとやはりもう40歳だ。はっきりいって、無駄なことや無駄な人に時間を使っていてはいけないと思っている。もともと出不精で、友達や知り合いと「今度また」といってなかなか会わないということが続いている。社交辞令でいっているつもりではないのだが、積極的に会う機会をつくるほどの行動力がないことと、ここ数年仕事でバタバタしていて、「落ち着いたら」と思っていることが理由だ。

 しかし、こう考えても多分、いつまでたっても落ち着かないんだと思う。傍からみて、時期を比較して落ち着いたといえる時期はあるかもしれないが、自分はいつも多分気ぜわしくしているだろう。いつまでたっても落ち着かないと思う。

 そして、会いたい人がたくさんいる。会えてない人がたくさんいる。
 このままだと、結局会わずじまいでジジイになってしまいそうで怖い。
 だから会いたい人に会って行こうと思っている。
(ただ難しいことに、会いたいからといって誰でも会ってくれるわけではない。かなり仲がいい人ならともかく、仕事などでちょっと会っただけだったりすると、それなりの会う意味・意義をもたらせなければとも思う。そういう意味で、自分に自信をつけなければと痛感している。自信をつけるために、やれることはやり、やれていないことに挑戦しなければと思い、少しずつ取り組んでいる)

その嘘は相手の為か それとも自分の為か


 会いたい人に会うことと、嫌いな人をつくることに何の関係があるかといえば、嫌いな人にはもう時間を割かないと決められる、ということだ。

 ここ数年、仕事でバタバタしていたと上に書いた。このブログでもFJの休刊などは書いて来たが、会社のことなど、書ききれていないこと、書けないことでもいろいろあった。

 その中で、自分が社員や取引先、外注スタッフに嫌な思いをさせたこともたくさんあったと思う。

 でも、自分も本当に嫌な思いをたくさんさせられてきた。

 問いただせば相手にも言い分はあるかもしれない。僕は僕の立場でしか話せないし、これを読んでくださっている方には僕の言い分しか伝えられない。だけど、自信を持って「相手に非がある」と言える体験をたくさんしてきた。よかれと思ってやったことに対して裏切られたり、言わないと言っていたことを勝手にバラしていたり、あからさまに人を無視したり、人の行為を簡単に無碍にしたりと、人の嫌なところをたくさん見てきた。

 上にも書いたように、僕だって仕事上で相手に嫌な思いをさせたことはいっぱいあっただろう。申し訳ない事をしたと思えることは山ほどある。やるといってできなかったこと、やらないつもりでいてやってしまったこともある。結果として裏切る形になったことだってある。自分の能力を買いかぶってなどいない。

 ただし、そういう結果になってしまったのは、自分に能力がなかったからだ。「やらない」といった時とは事情が変わったからだ。違った形で義理が十分に果たせたと思えたからだ(そういう場合も、「自分が相手の立場だったら、それでよしと思える」と判断すれば、それは問題ないと考える)。
 いずれにしても、第三者に自分の行動をロジカルに説明できると思う。逆に相手に問いただしたいと思ったことも何度もある。きっとできないだろう。

 人は嘘をつく。僕もたくさんの嘘をついて人を傷つけてきた。申し訳なく思い、反省もしている。

 でも仕事で相手に嘘をついてはいけない。同じ会社でも違う会社でも。相手が下請けだから、弱いからといって騙すようなことをしてはいけない。仕事・ビジネスで人や会社をつなげるのは信頼だ。それを損ねてはいけない。関係が失われていい(もう取引しない、辞めるから)といって嘘をついていいはずもない。 
 たしかに「噓も方便」ともいうし、「やさしい嘘」もあると思う。だがそれがいえるのは、それが相手の嘘のときだけだ。自分を守る為の嘘は保身・逃げ、おためごかしでしかない。そして、言いたくないことほど、ちゃんと言わなければいけないと思う。


 でもそれをしない人、会社がある。そういう人や会社に、もう分かって欲しいと思わない。分かり合えるとも思わない。時間の無駄だ。キリがない。だからしっかり線を引き、時間を、会いたい、もっと知りたいと思える人に注ごうと思う。
 
 そういう人や会社に嫌われたって構わないのだ。


 * * *


 とはいえ、報いられるべきは報いられるべきだ。時間の無駄だから放っておくのではなく、分からせることも責任だ。しかと報いるべきと判断した相手に対してはきっちりと報いる。半沢直樹流にいえば「倍返し」だ。


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