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2024年3月3日日曜日

ヒトはマウンティングから逃げられない。話はそれを認めてからだ――『人生が整うマウンティング大全』

『人生が整うマウンティング大全』

人生が整うマウンティング大全』(マウンティングポリス著、技術評論社)読了。前半は常にニヤニヤしながら、時に声出して笑いながら読みましたが、すべて読んでみてこれはとんでもない一冊だ、と思いました。

本書を単なる”ネタ本”としてスルーしたり、いくつかのマウンティングケースを読んで分かったつもりなったりするのはもったいないです。

2023年9月17日日曜日

めいろまさんの『激安ニッポン』感想 貧しくなった(これからもっとなる)日本でどう生きていくか

Twitter(現X)のMay_Roma(めいろま)さん、谷本真由美さんの新刊『激安ニッポン』を読みました。タイトルどおり、いかに日本が安い国になったかについて、各種のデータを交えて整理、海外と比較して、予想される未来について警鐘を鳴らした一冊です。

2014年5月10日土曜日

NEWS PICKS(ニューズピックス)今さら使ってみたら結構よかった

今さら使い始めたNewsPicksは結構いい 欲しいのは情報より解釈



TwitterやFacebook、ニュースサイトやポータル、メールなどで日々多くの「ニュース」に触れていて、関心のある話題と出合ったとき、「これはどう考えればいいんだろう?」と思うことがある。自分にとって専門外のトピックだと、どう考えていいかすら分からない。そういうときは自分なりに信頼している人、一目置いている人のTwitterやBlogに行って、何か書いていないか探す。起業家、大学教授、ジャーナリスト、デザイナーなどいろいろで、リベラルな人もコンサバティブな人もいる。異なる立場からの感想や意見を読むのがためになるからで、専門家も、視点の鋭い専門外の人もいる(法律の問題について鋭いコメントをするのが弁護士やヤメ検だけとは限らない)。何かしら視点を与えられるのは非常に助かる。

2013年6月13日木曜日

議決権行使をネットでやったら誘導されそうになった


 今年初めてネットで議決権行使をして気づいたのだけれど、議決権行使のウェブサイトには、「会社提案議案全議案に賛・株主提案議案全議案に否」というボタンがある。「今さら?」と言われるかもしれないけれど、これって結構ひどくないか? 誘導がすぎるのではないだろうか? 株主提案なんて、取締役会は得てして反対するもので、僕が株主になっているこの企業もそうなのだけれど、賛否を記して返送するハガキにはこんな項目はない。一つずつ、賛と否のいずれかを丸をつけていかなければいけない。これまでずっとハガキに一つずつ○を付けて送り返していたので、ネットでこんなことになっているとは知らなかった。

 たしかにハガキにも、「(ご注意) 株主提案につきましては、当社取締役会はそのいずれにも反対しております。」という注意書きはある。だけど「一カ所に丸をつければ、株主提案議案だけ反対できる」なんて機能はない。

(ついでにハガキの説明の分かりにくさでいうと、「株主提案に賛成の場合は『賛』に、当社取締役会意見に賛成の場合は『否』に○印でご表示ください」という説明も分かりづらい。そこは「株主提案に賛成の場合は『賛』に、反対の場合は『否』に○印でご表示ください」でいいだろう)。

 見方がズレてるようなら失礼。

2013年5月26日日曜日

参考にならないランキング

女性声優の歌手デビュー続々、世界観の構築でアプローチする新世代

 声優のCDデビューなんて珍しい話ではないと思いますが、この記事では、最近はアニメ・声優の作品を聞いてこなかった音楽ファンも聞いているのでは、とのコメントが紹介されています。あくまで一店員の単なる印象でデータはないですが、まぁそうなのかもしれません。別に悪いことでも不思議でもないのですが、それよりもランキング、特にオリコンについては、何でもかんでもいっしょくたのランキングで測るのをやめたほうがいのではないかと思います。

 海外ではラジオのジャンルにしても、音楽の種類で分けられていると思います。カントリーとロックが一緒になってることって無いのではないでしょうか。
 日本では演歌とアイドルとクラブ系と…すべて同じランキングで紹介されています。専門のチャートもあるのでしょうが、あまり聞きません。

 ランキングの数が増えると紹介が大変だとかマニアックになるとかいった弊害もありそうですが、制作者は分けて欲しいと思っているんじゃないかと思います。

 オリコン的には分けたくないのでしょうか。ランキング一位の作品が複数あれば、プロモーションに使われる回数も増える気がしますが、ありがたみがなくなってしまうでしょうか?

 しかし握手券付きのAKBのCDばかり並んだチャートを見ても何の参考にもなりません。CDが売れないという時代に一人勝ちしている、売りまくっていること自体は否定しないし、すごいと思いますが、参考にならないランキングを見せられても嬉しくもなんともありません。

 ところで冒頭の記事は、脱力な締めとなっております。
 
声優の音楽活動が定番化してきただけに、音楽性の一面だけではアピールしにくくなっている。今後は個人のキャラクターが垣間見えるような世界観を見せることで他者との差別化を図る声優が増えていきそうだ。


 ん?だから?どういうこと?

2013年5月24日金曜日

Suicaで「不足額チャージ」ができるようになった理由?


Suicaを使ってJRの鉄道に乗り、降りるときにチャージされた残高が足りないと、これまでは「1000円以上チャージする」か「不足分だけ支払って精算券を受け取る」かどちらかの方法で精算する仕組みだった(精算券を受け取った場合は、改札ではその精算券を通して出るので、Suicaは使わない)。

 だが、つい数日前、チャージ分が足りなかったので不足分を支払って出ようと思ったら、これまで見たことがないボタンが表示された。それが上の写真だ。「精算(不足額チャージ)」と書かれている。これを押すと読んで字のごとく、足りない分だけチャージされることになる。
 例えば190円区間に乗り、残高が160円しかなかったとする。その場合にこのボタンを押すと、30円だけチャージできる。100円を入れると70円釣り銭が出てきて30円だけチャージされ、改札を抜けると残高は0円になる。

 と説明すると当たり前にしか思えないが、以前はこんなボタン、仕組みはなかった。上に書いたように、不足分だけ入れる場合は「精算券」が紙で出てきていたし、そうでなければ1000円以上チャージするやり方だった。1000円未満のチャージができるのは改札内で不足分が生じたときだけで、改札外でふつうにチャージしようと思うと、従来どおり1000円以上しかできない。

 ちょっと調べてみると、JRのページに紹介されていた。またこのブログによると、3月のダイヤ改正からこの仕組みになったようだ。ちなみに東急のページにはこうあり、PASMOでは以前からこの仕組み(不足分チャージ)ができていたそうだ。

 交通系ICカードの話題では、先日、1円単位での支払ができるようJR東日本が申請するというニュースがでていたが、これを見越してのことなのだろうか?
 この話、ICで支払うと高くなる場合があるということを聞き、さらにニュースでは
券売機での切符は10円単位のままで、二重の運賃設定になることや、4月までの準備期間が限られていることなどから、冨田社長は「国土交通省の見解を踏まえ、慎重に判断したい」と話した。
とあって、「ちょっとそれはおかしくないか」と思っていた。「国土交通省の見解」はふまえるけど、「利用者の声」は聞かないのかと……(そりゃまぁ聞けば「高くなるのはおかしい」「安いほうに合わせるべきだ」ということになるのだろうけれど)。

 しかし、仕事で鉄道を頻繁に利用する営業を抱えた企業などにとっては、数円でも積もればバカにならないわけで、些細な問題ではない。税率アップで値上げされるのは仕方ないにしても、機械や設備の問題で利用者の負担に差を付けるのはいかがなものかと思った。

* * *

 余談になるが、Suicaへのチャージについていえば、どうにかしてほしいと思っていたことがほかにもある。定期券を更新するときに、「改札機」で更新すると同時にチャージができるのだが、「みどりの窓口」で更新しようとすると、同時にチャージはできないことだ。「改札機」の利用を勧めようという狙いなのかどうか分からないが、どうにかならないものだろうか。なぜか改札機だとはじかれるクレジットカードもあって(通常利用はできるのに)不便を感じている。

2013年5月17日金曜日

「男が働き、女が育てる」が常識という時代じゃない――女性の役員・管理職登用積極化

3メガ銀初の女性役員…三菱UFJが川本氏起用

 先日この記事を夕刊で読んで驚きました。これまで3メガバンクには女性役員が一人もいなかったんですね。「なんて業界だ」なんて思っていたら、イオンが2020年までに女性管理職の比率を50%まで引き上げる方針を明らかにしたそうです。イオンのほうは役員ではなく管理職ということですが、現状は7%とのこと。イオンのような小売り、GMSは女性客が多いでしょうから、7%は低い気がします。業種にもよると思うのですが、日本の企業は全体的に女性の取締役、管理職への登用が遅れているんだろうなという印象があります。具体的にはどれくらいいるんだろうとググってみたところ、東洋経済にこんな記事がありました。こんなもんなんですね。表を見て改めて少なさに驚きました。

女性役員が多い会社はどこか?
パソナ、ニチイ学館、エステーが最多の4人 

 女性役員・管理職の積極的登用について考えると、「女性だから役員になれなかったんじゃなくて優秀な女性がいなかったからでは」という意見が出てきそうですが、そんなことはないと思います。やはり結婚、出産、育児の過程で、オフィスから遠ざかる(遠ざけられる)のが女性ばかりだったから、つまり押し付けて放逐されてきたからというのが一つの理由ではないでしょうか。その過程で女性は残りづらくなっていく、そういう雰囲気をつくってくたのではないでしょうか。三菱UFJのボードに入った川本氏も叩き上げ社員ではなく、外部からの就任です。女性にとって「入社→出世→役員へ」というコースは難しい気がします。

 無理に女性を役員にすることに意味があるのかという意見もあるでしょう。逆に差別なのではないかという人もいるかもしれません。しかし、女性が役員として経営に携わりやすい環境をつくること、そのために数値目標の設定はあっていいと思います。それがないと絶対にやらないはずで、だから今のようになっているわけです。やってみて問題があれば替えればいいでしょう。アファマティブアクションといっていいかはともかく、当面はそうした措置が必要だと思います。
 自民党の「女性力の発揮」っていうキャッチはどうにかならなかったもんかとは思いますが、これまで能力を発揮したいと考えていた女性たちが、性別が男性でないということを理由に重用されなかったり、軽んじられたりということがあったはずですから、それを無くしていくことは必要だと思います。

 この問題は、誤解を恐れずにいうと、障害者の法定雇用率制度の議論と似ている気がします。むろん、女性が障害者であるといっているのではありません。男ばかりの取締役会に入る女性はマイノリティだという意味です。以前、Twitterで、障害者の法定雇用率を無理して守るくらいなら罰金を払ったほうがマシというツイートをしている人がいましたが、それと同じ考えをする人が出ないとも限りませんから、目標の設定は必要でしょうが、ルールを決めればそれでいいというものでもないでしょう。「我が社は女性を登用したくない。罰金払えばいいんだろ」っていうのはおかしな話です。

 そうした変革を実現することで、男性の働くことに対する意識や習慣にも変化が生まれるでしょうし、役員や管理職ではない、一般の女性社員も働きやすくなるはずです。またこれまで「女性の仕事」だった「育児」に男性がより関わるようになることが期待できる点は大きいと思います。

 ただ「我が社は男性だけで経営する」ということが責められるものなのか? ということも考えるべきだと思います。たとえば役員もしくは社員が女性ばかりの会社もあるでしょうし、それを妨げるのはおかしい。だから「義務化すればいい」といった問題ではなく、数値目標の設定とレビューから始めて、業種や規模を問わず、いずれの企業も「他人事(他社事?)」と考えずに議論し、検討することが求められるのでしょう。

 ここでふと、「じゃあ自分はどうなんだ」と自問しました。いま自分が関わっている会社は一人代表ですが、重要な経営方針を決めるメンバーに女性はいません。日常的な方針などは皆に情報開示して皆で話し合っていますが、役員というか出資者、そのメンバーに女性はいません。とはいえ別に避けたつもりはありません。無理に女性を入れろと言われると、それはそれで困るものもありますね。一律に女性を幹部に登用すればいいってわけではないというのもまた正しいのでしょう。

2013年5月15日水曜日

NISA普及が目的? 金融コンシェルジュは機能するのか

お金の悩みや相談 病院内に窓口開設 金融コンシェルジュ

 実現してワークすればとてもいいことだと思いますが、果たして病院にかかる高齢者がどれだけこうした窓口を活用するでしょうか。当面は都内の河北総合病院で週1回、1年間やってみるそうですが、とりあえずやるなら常駐させるぐらいがっつりやらないと意味なくないでしょうか。お金に関する相談を他人にするっていうことに、抵抗がない世代ではないでしょうから。
 一般的な資産運用の知識を伝えたり相談にのったりするそうですが、金融商品を売ることはしないそうです(とはいっても、そのあたりはどうにでもなるでしょうが)。

 ところで金融庁がまとめたのは「高齢化社会に対応した金融サービスの向上について」(PDF)というものですが、その中に
現役世代が将来に向けた資産形成の必要性や積み立ての重要性(金融リテラシー)を認識しなければ、積み立て型の長期投資商品をコツコツ購入する動きは広がらない。
という問題認識が掲げられています。金融リテラシーを上げることには賛成ですが、「積み立て型の長期投資商品をコツコツ購入する動き」をつくることが目的なんでしょうかね? 

 投資とか金融商品に対する考え方は、もっと早く、学生のうちからやっておかないとダメだと思います。もちろん教えるのは、学校の先生では無理なので、させてはいけないと思います。専門家を招聘してやってもらえばいいのでは。ただ当面は親がついて行けないということも考えられるでしょう。

 あとリバースモーゲージとか中古住宅の資金化についての軽く言及がありますが、このあたりもっと使いやすくしたほうが、先々のことを考えるといいのではないかと思います。特に都心ではもったいない物件がたくさんありそうです。

 総じて、NISAの普及のためにやる感がアリアリで、何だかなとも思いますが、お金に関する相談がちゃんと受けられる仕組みができること、金融リテラシーを高める施策をすることには賛成なので、河北総合病院での取り組みに注視したいと思います。

2013年5月12日日曜日

お金がないから妊娠できないということの切なさ


<にんしんSOS>妊婦相談で虐待防止2割 大阪府事業で効果

 なかなかニュースへのもって生き方が苦しい感じもしますが、大阪府がこういう事業をしていたんですね。調べれば他の自治体でもやっているのかもしれませんが、妊娠の疑いが生じた時に何の懸念もなく受診できる人ばかりではないでしょう。アンケートの回答者が13歳から、というあたりからもそれは分かります。
 後のほうの段落に出ている大阪府医師会のまとめはこちら。



未受診妊婦:大阪府、3年で倍増 生活難、知識欠如

 経済的な理由で受診せずに出産した方が結構多いことに驚きます。にわかに信じがたいですが、「誰にも言えない」のではなく「お金がない」が理由というのはどうにかならないものでしょうか。

 こう書くと、「金がないのに子どもなんてつくるな」と思う方もいるかもしれませんが、それはむしろ逆で、「お金の心配をせずに子どもをつくれるように」しないといえないんじゃないですかね?


2013年5月7日火曜日

都立高校のBS公表――分からないことを分からないまま書くかねぇ


 東京都教育委員会が都立高校のBSやCF計算書を公表したそうだ。今年が初めてではないのだが、初めて知った(何となく聞いたような気もするが)。たまたまマイナビニュースの記事で知ったのだが、この記事を読んでちょっとうなってしまった。筆者はBSが読めないんだろうなぁと思ってしまったからだ。この記事や単なる数字の羅列で、解説も何もないから、とてもではないが読みたくはならない。数字を伝えるだけで「なるほど今年はそうだったのか」と読者が納得してくれるような内容なら「単に情報を伝達することが目的」という方便も成り立つだろうが、果たしてそれでいいのだろうか?

 なぜわざわざそんなことを言うかといえば、自分が記者時代、BSやPL、CFなんて分からないのに、前年のスクラップを見て自治体の予算、決算記事を書いていたことを思い出したからだ。恥ずかしながらほとんど何も分かっていなかったので、予算課のレクに厳しくツッコむことなんてできなかった。その自治体にとって大きなイシューであれば、議員もツッコむし事前に勉強することができたので、それなりに解説や批判はできていたと思う。だが、そもそもBSやPLを読みこなせていなかったので、大方の部分についてはポイントがつかめず、何をどう書いていいか分かっていなかった。

 ところでこの記事の目的はマイナビ批判ではない。言いたいことはまず、BSやPLは読めるようになっておいたほうがいいということだ。会計士が書いた書籍にその手のものが結構あるが、読めるようになるのはなかなか大変だ。また、読み方を知識として身につけても、その数字が意味するところを読み取るのは容易ではない(「日経新聞の読み方」を指南した本があるが、あれを読んでも記事の評価ができないと同じか)。かく言う私も、今でこそBSやPLを見て、何となく意味が分かるようになっているが、それでも細かいところまでは分からないし、業種が変わると手が出なかったりする。ちゃんと勉強したわけではなく、「決算書はここだけ読め」とか「バランスシートがすぐに読めるようになる」とかいった本を読んで勉強したのだが、結局役に立ったのは実際のBSやPLを見なければいけなくなってからだ。そうして実物をシビアに見たからこそ、それぞれの項目や数字が持つ意味が少しずつ分かるようになった。

 でもこの手の資料を見ただけで敬遠しているようでは、ダマされても文句は言えないと思う。それはBSやPLに限らず契約書や法的な書類についても同じことだ(この手の書類が誰にでも分かるようになると士業の皆さんが食いっ逸れるからそんなことにはならないだろう)。記者時代の自分もダマされていたかもしれない。いや、ダマされていたのだろう。そんなもの、追求しても「聞かれなかったから」と返されたらぐうの音も出ない。中には自分には必要ないという人もいるだろう。たとえば「ビジネスパーソンとして出世したい、起業して成功したいとかいう人ならともかく、自分には関係ない」というように。そういう人は「ダマされてもいい」と言っているわけだから、聞いてくれなくていい。

 次に言いたいことは、余計なお世話を承知でいうが、この手の専門性のある記事を知識のない記者に書かせていていいのだろうか、ということだ。1本記事を書けばあちこちに転載されてPVは稼げるのかもしれないが、「金かけてないんだなぁ」ということが丸わかりだし、恥ずかしいし、記者のためにもならない。この場合、記者がちゃんと読みこなせrるように勉強するか、読める専門家に読んで解説してもらうこと(場合によっては記事を書いてもらうことまで含めて)をしないと、読者のためにはならない(大手紙なら、たとえ社会部ネタでも経済部に力を借りることができるが、ウェブメディアなどでそれができるとは限らない)。記事1本あたりのコストが下がっている今、なかなか1本の記事にそう労力は割けないかもしれないが、最初にがんばって最低限の「読み方」を身につけておけば、あとは毎年、または年に数回その読み方をツカう機会がくる。最初は大変かもしれないが、やっておいて損はないと思う。同情はするが、解決の選択肢はある。

 冒頭の都立高校のBS、CF計算書は面倒で読んでいないので、ポイントは分からない。たとえ読んだとしても、自分の能力では読み解くことはできないだろうし、「あぁ出版や広告代理店とはここが違うなぁ」という比較くらいしかできないだろう。そもそも今年の分だけを読み込んでも、過去や他の自治体などと比べなければ評価ができないだろうし、そこまでの時間を割くつもりはない。と言っている時点で、紹介した記事の筆者と同じスタンスだといえばそうかもしれないが、誰かやってくれないものだろうか……。

 ところで都や区の予算の執行状況、決算などが配布されると思うが、あれも同じだと思う。本当に都民や区民に状況を知ってもらうための努力がしっかりなされているかといえば、そんなことはないだろう。ひと昔前とくらべれば、グラフや表、たとえなどを使うことで分かりやすく読みやすくするための工夫がされるようになった気もするが、それでも都民、区民の多くがしっかりと読めるような状態にはなっていない。それを都や区に求めていいものかは自信がないが、何とかできないものだろうか、とは思う。


  

2013年5月6日月曜日

ファンなら何が知りたいか――大おもちゃ博で感じたこと


 人気アニメのおもちゃの展示・体験やライブなどがあるイベント「大おもちゃ博」(品川プリンスホテル主催、タカラトミーなど特別協力)に行った。トランスフォーマー、リカちゃん、ポケモン、プリティーリズムなど同社のコンテンツが勢ぞろいで、子どもだけでなく大人も楽しんでいた。会場に入る前に、中で行われるイベントの整理券配布などについての説明があったのだが、これが分かりにくかった。

 説明や会場整理には、タカラトミーの社員、プリンスホテル社員、レコード会社関係者、そして多くのバイトが携わっていたのだと思う(会場に着いてすぐ内容について質問した相手がホテル関係者で、中でのことは分からないと言われてしまった)。そもそもこのイベントはウェブサイトの情報整理がいまひとつで、事前に知りたいことがよく分からなかったのだが、会場での説明も要領を得ず、分かりにくかった。

 なぜ参加者が満足のいくような説明がなされないのか。それは、説明した担当者が、自分が今説明している内容について、“深く”は理解していないからではないか。準備不足とも言えなくはないが、というよりむしろ参加者やファンほどにはその対象を愛していないからだろうと思う。

 参加者は本当にそのアニメやキャラ、テーマ曲を歌っているアーティストが好きで会場に来ている。一方、主催者側の担当者については、皆が皆、そんなテンションという訳ではない。それをプロ意識の欠如と断じるのはちょっと厳しいと思う。このイベントでも、会場整理のため、イベント運営のためのマニュアルが作られ、現場の担当者は粛々と実行しているはず。だが、こちらとしては目的を達成することができるのか(見たいものが見られるのか、欲しいものがゲットできるのか)、一向に分からない。その理由に、対象への思いの深さの違いがあるように思えてならなかった。
 結局、いちいち聞かれると担当者も大変だろうから、係員を呼び止めてあれこれ聞くのは憚られるから、迷惑にならないであろうタイミングを見計らって、どうしても聞いておきたいことは聞いた(結局聞くこともできたし、このイベント関係者を批判したいわけではない。大きな手落ちがあったわけでもないのだし)。

 開場までの待機列で暇潰しにネットを見ていて、「ジャニーズのファンが非公式グッズを買ってしまうのは、公式にはない、痒いところに手が届く、ファン心理をついたグッズ展開をしているからだ」という主旨の記事をサイゾーで見つけて、なるほどと思った。
 ジャニーズの公式グッズを作っている会社や関係者、担当者だって入念にリサーチして、ファンが欲しいと思うであろうグッズを作っているはず。彼らはプロだし、まさに当事者なのだから。
 しかし実際にはファンは非公式グッズを買ってしまう(公式を買わず、ということではない)。非公式グッズを作っている会社や関係者ももはやプロといっていいだろうが、サードパーティーが本家を越えているというのは興味深いことだ(ここでいう「越えている」は売上のことではないし、どう越えているかのデータはない。公式にはないがファンに支持されるグッズが非公式から出ているということだ)。

 こういうことはよくあると思う。ジャニーズの場合はどうか分からないが、ファンが考えたほうが、ファンが欲しがるグッズが作れるのかもしれない。ファン心理が分かるのだから、その可能性は小さくないのかもしれない。
 グッズ制作だけでなくイベント運営でも同じことがいえる。ファンならここに何を求めて来ているのか、今このタイミングでファンならどうしたいとw思うか、そのために何が知りたいのか……。担当者だってちゃんと準備はしているだろうが、「ファンならどう考えるか」というところに思いを馳せているかどうかは自問してもらいたい。さらにいえば「ファンに負けないくらい、その対象について語れるか」ということにも。

 そしてこれはイベント運営だけでなく、サイト運営など各種サービスについて応用できると思う。自分の過去の仕事、経験を振り替えって、そういう想像をすることがいかに難しいかに気づいた。それが自然にできる人が気が利く、仕事ができるということなのだろう。

 お客様の立場に立ってとか言われるが、そんな手垢のついた言い回しや考えではなく、自分がファンになるくらいに対象を愛して考えてみなければ、気づかないことがたくさんあるのだと思う。まさに言うは易し、行うは難しだと思うが、忘れず応用したい。

2013年5月5日日曜日

マスコミイクメン今昔――増えてはいると思うけど

イクメンプロジェクトウェブサイトより)

 こどもの日ということで、読売が朝刊で「『イクメン』が世間を変える」という社説を掲載している。主催イベントのPRをちゃっかりしながら、「男性の育児参加をさらに促す企業努力を各社に求めたい」「親子が気軽に集える場を増やすべきだ」などと書いている。
 育児ネタに限らないが、こうした提言を大手紙などメディアがする時に感じるのが「お前とこはどないやねん」ということだ。

 自分が読売にいた頃は、読売に限らずマスコミは育児を蔑ろにしていたと思う。辞めたのはもう十年くらい前だし、当時と今とでは社内の制度や雰囲気も大きく変わっているだろう。子育て真っ最中の同期たちのFacebookの書き込みを見る限り、彼らはフツーに子育てしている。皆が皆、育児に消極的という訳でもないとは思う。
 ただ当時、仕事のできる他社の先輩から、取材応援で長期出張していて、子どもの顔をみたのは産まれてから何ヵ月も後だったという話を武勇伝のようなエピソードを聞いた。この先輩はたしか他社だったが、自社の先輩からも似たような話を聞いたような気がする。当時(自分がいた地方の記者クラブ)はそんな雰囲気だった。
 あの先輩が本当に、何ヵ月も我が子の顔を見られなかったことを悔やんでないのかは分からない。照れ隠しだったのかもしれない。でも自分としては、そういう未来が自分に待っているかもしれないのは嫌だった。辞めた理由の一つになった。

 この記事の意図は読売をディスることではない。ただ先日、ある地方議会議員の取材で思ったのだが、国や自治体にいろんな制度をつくるよう求める前に、企業が変わらなければまともな育児環境などできないだろう。企業が変わるということはつまり、もしかしたら育児などしたことがない、お偉いさんたちが変わるということだ。

 世の中にはまだまだ、オムツを替えたことのない男性はたくさんいる。ただ自分は何も、子を持つ全員が全員、オムツを替えるべきだとは思わない。そりゃかかりきりんあるのが理想かもしれないが、そうもいかない。役割分担はあっていいと思う。なるべくやったほうがいいと思うし、一度は体験してみるべきとも思う。そうしなければ、本当の大変さはなかなか分からない。そんな人たちがつくった(社内、自治体の)
制度なんて、ツカえたもんじゃないはずだ。
 また「イクメン」という言葉は早くなくなればいいと思う。親が育児をするのは当たり前だからだ。男がしてこなかったからこんな言葉があるわけで、正常な状態とは言えない。自分など、子育てに関して「偉いですね」なんて労われると、面映ゆくて仕方ない。実は育児の多くの部分を妻に任せているということもあるが、できる範囲であれこれやっているのは当然だと思っているし、面白いから、好きだからやっているだけだからだ。こんなに面白い、楽しいことを女性だけにエンジョイさせるなんて、男性として「もったいない」と思う。
 マスコミに限らず、仕事で忙しい日々をおくっているという人が(多くは男性だろう)、勝手に頭の中から自分を育児のプレーヤーから外してしまっている。他の誰か、他の会社の取り組みを言う前に自分のことを考えなければいけない。
 読売の編集委員や社説の担当者など、お偉いさんはどうなんだろうか?

2013年2月18日月曜日

経済・金融の専門家ではない立場からの書評『日本人はなぜ貧乏になったか?』(村上尚己著)

経験はないが、いい記者が持っているモノ

 


 記者は専門家ではない。

 テーマによっては専門家に負けない知識が求められることもあるし、専門家ではないことを準備不足の言い訳にしてはいけない。だが基本的には「専門家ではない」からこそ、専門家に取材して記事を書く。記者は、時間を割いてくれる相手に失礼のないよう、そして聞くべきことをしっかり引き出すために事前勉強はするにしても、それはあくまで聞くための準備であって、読者に伝えるべき情報は専門家が持っている。どの専門家を選ぶかという点には記者(編集者)の考えが反映されるのだが、伝えるべきメッセージを持っているのはあくまで専門家だ。大手メディア所属の記者であるとか、フリーのブロガーであるとか、そうした所属や肩書きはともかく、いわゆる記者・ライターにとって必要なのは、専門家に負けない知識ではない。冒頭にも書いたように、記者は専門家ではないからだ。

 では何が必要なのか。

 数ある中でも最も必要なのは「理解する力」ではないか。

 理解する力があれば、取材で難しい専門用語に惑わされず騙されず、「何がポイントなのか」「どこを伝えるべきなのか」を見つけ出すことができる。のらりくらり逃げようとするインタビューイを前に、だまされずに突っ込むことができる。

 「理解する力」があれば過去の経験は関係ない。例えば教育関係の仕事をしたことがないというライターでも、教育関連のインタビューをしっかり構成できる。投資経験がない記者が、金融機関での取材をこなすこともできる(こう書いていて気づいたが、「理解する力」には、「専門家の話を理解する力」だけでなく、「そのインタビュー・取材をすることの意味」「その媒体で、そのタイミングで発表することの意義」を理解する力も含まれると思う)。

 経験はアドバンテージにはなるが絶対ではない。新聞社の経済部にいた記者がいい経済誌記者になるとは限らない。アニメ誌の編集をやっていたからといって、いいアニメライターになるとは限らない。スタート時点では、経歴のない人と比べればリードしたポジションに立てるが、「アキレスと亀」じゃあるまいし、リードはいくらでも詰められる(とはいえ、記者やライターの採用、起用を検討する際の指標として、過去の経歴・ポートフォリオ 以外のものってそうそうないのだが……)。

 などと書くと、自分が経済紙誌の記者経験がなくFJという経済誌の編集をやっていたことの言い訳のように聞こえてきたが、それは本意ではない。

 いい記者・ライターであるために必要な要素はいくつもある。
 そして私は自分がいい記者・ライターであるとは思っていない。

 しかし、専門ではない話のポイントを掴むのは比較的得意だと思っている。「偉そうに」と思われるかもしれないが、記者なんて誰でも「ここは負けない」「これは得意」ってのがないとやっていけない(中には「営業は負けない」という記者・ライターもいるだろうが)。

「ロジックを立てるのがうまい」人はたくさんいるが


 経済誌の編集部時代には、金融機関で何人ものエコノミストやアナリストを取材した。その誰もが、ロジカルな話を聞かせてくれた。彼らは(嫌味のつもりでなく言うのだが)頭がいいし、自分の意見や考えをサポートする材料を見つけ、ロジックを組み立てるのはうまい。だから、ある命題に対して賛成、反対両サイドの意見を聞くと、それぞれに納得できる話が聞けてしまう。
 例えば自分が賛成に立場に立つ政策について、反対の立場に立つエコノミスト(政治家や学識経験者もそう)に話をいても、「なるほど」と思ってしまう。別に騙されているということではなく、「ロジックを組み立てるのがうまいな」という評価をしているのだが、ともかく金融機関に勤める人たちはこうしたことに長けていると思う。
  当時、取材をさせてもらった多くのエコノミスト、専門家の中でも、つくづく「なるほど」と思わされ、自分なりに納得できる話を聞かせれくれたのが、マネックス証券のチーフ・エコノミスト村上尚己氏だ。

 何だかこの流れで紹介すると、かえって失礼に聞こえてしまうかもしれないが、それはまったくの誤解だ。氏の取材で受けた印象は、「話が分かりやすい」というだけではなかった。話が分かりやすいだけの人なら結構いる。そうではなくて、「信頼できる議論を展開している」という印象といえばいいだろうか。自分のもともとの意見に近いからそう感じるのだろうと言われるかもしれないし、それは否定できない。だが村上氏は、すでに経済誌の編集記者ではなくなった私が今なおレポートや発言をウオッチしている数少ない専門家の一人だ。経済や金融の分野で何かコトが起きる度に、「村上さんは何といっているだろうか」と気になるし、「この事象をどうみればいいのか村上さんの見方を拝見しよう」と時折レポートも確認している。

 その村上氏が単著としては初めてという『日本人はなぜ貧乏になったか?』(中経出版)を上梓した。発売翌日に購入して早速読んだが、これは分かりやすい、いい本だと思う。知らず知らずに信じこんでしまっていたいくつかの事柄、説明のできない事柄に対して、明快な否定と説明をしてもらえた感じだ。
 既に”村上推し”というバイアスがあることを明らかにした、経済・金融の専門家でも現役記者でもない私が薦めても説得力はないのかもしれないが、実際売れているようで、担当編集者のツイートによるとすでに3万部を突破したという。

 
 一見、装丁がおどろおどろしい感じだったので、トンデモ本と間違えられやしないかと偉そうにも思ったが、杞憂だったようだ(失礼しました)。

 本書は21の通説に対して真相を明示し、その説明をしていくという形をとっている(これは同じ中経出版から山内太地さんが出された『東大秋入学の衝撃 』と同じような構成だ)。その通説の一部を見ると、

「かつての『がんばり』を忘れたから、日本人は没落した」
「90年台バブルの崩壊は仕方がなかった」
「人口が減少する日本が成長できないのは、構造的な宿命だ」
「日本のデフレは、安価な中国製品が流入したせいだ」
「日銀の金融政策では、物価を動かすことなどできない」
「日本はインフレ目標政策をすでに導入している」
「お金を刷るだけでいいはずがない。構造の抜本改革を優先せよ」
「『右肩上がりの日本』は幻想。低成長の成熟社会を目指せ」

−−などが並んでいる。筆者はこの21の通説を21のウソと断じ、誤解を解いていく。

 少なくともここに挙げたいくつかの通説を読んで、「え?そうなんじゃないの?」「そう信じてた」という方は、まず読んでみてほしい。その上で自分はどう思うのか、考えてみてはどうだろうか。筆者は証券会社のエコノミストだから、「ポジショントークだ」と思う人もいるかもしれないが、読まずにそう決めつけるのはよくない。

 本書ではまた「おわりに」でちょっと驚かされた。村上氏の同僚でもあるマネックス証券の広木隆さんがZAi ONLINEの記事で紹介されているが、筆者の熱い思いがつづられているからだ。インタビューイからこうした熱い思いを聞けることはなかなかないから、氏の熱い思いを目の当たりにして、驚き、感銘を受けた。

 円安・株高を期待する反面、ここまでデフレが長く続くと、「いくらアベノミクスとか言っても所詮春くらいまででしょ」「持って参院選まででは」と弱気な見方をしてしまうもの。デフレには辟易していた自分も、後者の見方のほうが強くなっていた。
 しかし本書を読んでみて、不安と懐疑的な見方のほうが強かったアベノミクスに対して、多少は期待が持てるようになった。


……「多少かよ」というツッコミは、読んだ方からのみ受け付けたいが、私も本書を読んで、すべて鵜呑みにしているというわけではない。筆者とは違う見方をしている部分も(マイナだが)ある。また例えば、『60歳までに1億円つくる「実践」マネー戦略』で村上氏とともに著者に名を連ねている内藤忍氏は、アベノミクスにはかなり否定的とのこと。村上氏とは見方は違うわけだが、私は内藤氏の見方も信頼している。こうして異なる立場の見立てを吸収し、自分なりの理解や見通しを組み立てているつもりだ。


「アベノミクス」の行方は私たちの将来に大きな影響を与えるはずだ。もし積極的に情報を得ようとせずにいろいろな判断をしているなら、先行きの見立ての正誤や可能性を心配する前にやることがあると思う。


2012年11月15日木曜日

ガンダムは日本製とは限らない――『僕ジム』を読んで

 常見陽平さんの『僕たちはガンダムのジムである』(ヴィレッジブックス)を読んだ。


 ガンダム世代には釈迦に説法だが、ジムとは、「機動戦士ガンダム」に出てくる地球連邦軍の量産型モビルスーツだ。


 見ての通り、ガンダムっぽいけどガンダムでは決してない、”その他大勢キャラ”だ。

 キャリアに関して多数の著書のある常見さんの書籍だけに、そのタイトルを聞いた時、なんとなく内容に予想はついた。コントでいえば“出オチ”というか、見た瞬間に狙いの方向性が分かった。だから自分もファーストガンダムは好きではあるものの、「多分こういう内容だろうから買わなくてもいいかなぁ」と思った。

 しかし以前いただいた『キャリアアップのバカヤロー』はためになったし、『親は知らない就活の法則』も仕事の上で参考になった。それに「常見さんだからきっと、そんな容易に想像できる内容で終わってるはずはない」と思い、買ってみた。

 


 結論からいうと、最初に抱いた心配は杞憂に過ぎなかった。

 私は仕事で学生や留学生の就職難、転職難の情報に触れていることもあって、ある部分では「分かる分かる」と思いながら、一気に読み終えた。もちろん著者のように専門的にキャリアについて研究しているわけでもないので、新たな発見もたくさんあったし、「いい言葉だなぁ」と付箋をつけたページもたくさんあった。

今さらな部分もあるかもしれないが、たとえば……

  • 頼まれた仕事は天職だ
  • やらされた仕事があなたを強くする
  • 「居場所×担当業務×ポジション」
  • 創造的ルーチンワーク
  • 「いいじゃないか、やりたいことが見つからなくたって」

 などなど。
 ほかにもあるのだが、ちょっとでも気になったら手に取って損はないと思う。特にこれから就活をする学生、あと就職したばかりの20代の社会人は、これを読んで自分のポジションを確認し、進む道、戦略を考えるといいのではないだろうか。そして「できること」の先にある「すべきこと」を考え、見つけようと行動することだろう。

 いい本を読むと、「自分もやらなきゃなぁ」「このままじゃイカンなぁ」と思う。
 誰もが思う。 けれども行動にはなかなか移せない。移しても、続かない。

 本書が説いているのは、「自分はジムであり、ガンダムにはなれないが、他のジムとどうやって差別化しようかと考えるべき」ということだ。ガンダムになれないことは認めても、そこで「ジムのままでいい」と思っていいという訳ではない(これは何もジムであることを否定しているわけではない)。
  
 日本は既にGDPで中国に追い抜かれた。それでもまだ、貯金で逃げ切れる世代が支配している。若い人たちは、将来が明るいとは思っていない。日本が経済的にもっと豊かになるとは思っていない。豊かになるためにいろいろなものを犠牲にするくらいなら、ならなくていいと思っている(そもそもそれは成熟の一つの段階なのかもしれない。いいのか悪いのか、分からない)。

 そんな状況の中で、何をどう頑張ったらいいのか分からない。途方に暮れて、あきらめてしまいそうになる。諦めてしまっている人たちもいる。だから筆者は「はじめに」で本書について「ついつい自信をなくしてしまいつつある、地道に働く会社員たちに対するエール」と書いている。『僕ジム』は時代が求める処方箋であると思う。

 「どうせ自分なんてジムだし」と思うことはないし、思っていても始まらない。現状を認識する、己を知るということは、自分がどう伸びたいかを考えるために必要だ。「ガンダムになれる」とは思わなくても、「ジム・カスタムになろう」とか「ガンタンクを目指しちゃうぞ」だっていいはずだ。

 また「僕らはジムだ」と言い切ることには、“意識の高い学生”の話ではないが、多くの人が陥っている勘違いを正す意味もある。
 若い時は誰しもが、自分がひとかどの人間になれると思いがちだが、多くは幻想だ。そして今はソーシャルメディアのため(せい?)か、ジムの多くがガンダムと気軽に接することができるようなった。ジムがガンダムを身近に感じられる時代、CDを買えばアイドルと握手ができる時代でもある。教育現場でも平等であることが重視され、区別することをよしとしない風潮がある。「あの子はガンダムだから。でも君はジムだから」なんて言えない。だからジムの多くが根拠もなく「おれもガンダムになれんじゃね?」と思う。その思い込みが自分の能力を高めることもあるが、ほとんどのジムに対して、「いやいやおめぇは違うから。ガンダムにはなれねぇから」と教えてやるのは、余計なお世話ではない。ジムのためにもなるのだ。

 最近、私は日本人の学生よりも外国人留学生と接することが多い。バイトもいるし、正社員もいるのだが、彼らの貪欲率はかなりのものだ。日本という外国に留学に来ている時点でそれなりに行動的ではあるわけだが、日本の会社に出入りして、選ばれていることもあって、能力も高い学生が結構いる。彼らを見るにつけ、外国人を採用で差別している企業はホントにアホだと思うし、日本の若者は、競争相手が彼らだということを認識しているんだろうかと心配になる(とか書くと、おめぇもだと言われそうだけど)。

 これからジムは、外国製のガンダムのために働くことだってあることを認識しておかなければいけない。外国企業の日本買いが、青い目をしたハゲタカファンドによるそればかりでないことは、ご案内のとおりだ。今まで自分のことをガンダムになれる存在と思っていて、かつ根拠もなく新興国の若者をジムだと思っていた日本のジムが、新興国からやってきたモビルスーツ(もしくは指揮官)の下で働くことになる。自分がガンダムではない事実を認めたうえ。よそから来た主人公のために。たとえ自分がジムであることを認めても、ガンダムが日本製(日本人)とは限らないということも忘れてはいけない。

 「だから何?」と思える人はいい。まだ社会人になってないような若い世代がどうかは知らないが、すでに働き始めてかなりの年月がたった中年世代は困るだろう。誰も「おめぇはガンダムじゃねぇ」と言ってもらえない、でも逃げ切ることもできない世代。きっと外国製のガンダムの下で働くことをすんなりと受け入れられないのではないかと思う。

 きっと、そんな時代はすぐそこまで来ている。逃げ切れると思っている世代の多くが、逃げ切れないだろう。逃げ切ることを考えるのはよしたほうがいい。「逃げよう」と思っている時点でもう旗色はかなり悪い。ほうほうのていで逃げたところで、その先に楽園はない。

 ところで本書の帯には「量産型人材として生き抜いてきた著者による」とはある。だが、「常見さんはジムじゃないじゃんよ」というツッコミはされてるんじゃないかなぁと思う(私の勝手なイメージではギャン…いやゲルググ……)。あと、今の若者にどれくらい「ジム」が響くのかなぁ?とも思った。



ほかに最近読んで面白かった本。


  



 『東大秋入学の衝撃』(中経出版)。東大に関してのいろいろな噂をあげ、それに対して事実を回答として示していく形。高等教育について問題意識を持っている人にとっては興味深い、現場をみて回った上での分かりやすいまとめ。

 『創造力なき日本――アートの現場で蘇る「覚悟」と「継続」』(角川oneテーマ21)。村上隆さんはアンチも多いですが、仕事に対する考え方や物言い、僕は好きです。アーティストになろうとしている人に限らず、仕事をするすべての人に参考になると思います。なんだってアートといえばアートだし。特に面白かったのは、カイカイキキの運営方法を震災後に変えた話や、ドワンゴ川上さんとの対談などでしょうか。

 もう1冊『日本をダメにしたB層の研究』(講談社)はネタ本みたいですが、意外に「なるほどねぇ」と思わされました。著者の適菜氏は過去にも「B層」本を出しているようですが、氏の著作を読むのは私は初めて。哲学者という肩書のようですが、分析が分かりやすすぎないかという気もしましたが、一つの見方としてはアリではないだろうかと。今度の選挙でこのB層がどういう(投票)行動を取るのか、気になりました。

 そして今読んでいるのは田端さんの『MEDIA MAKERS』(宣伝会議)。なかなかなくてあちこちで探して、渋谷のブックファーストでようやく見つけて購入。田端さんの初めての著書ということにちょっと驚き。氏の話が分かりやすくて面白いのはブログやいろんなインタビューで知っていましたが、これも分かりやすくていい。読んでためになるのはメディアを仕事にしている人だけではないと思う。視聴者、読者として誰もがメディアに接する訳ですし。
 ちょうど今、仕事でウェブメディアの再構築にかかっているところなので、参考にさせてもらおうと思いました。

2012年8月9日木曜日

パチンコ 何とも日本らしい存在――『パチンコのすべて-サルでもわかるココだけの話―』を読んで



建前・体面重視の日本社会的の縮図
T・U・Cショップ含む「三店方式」


 都内でパチンコ店のそばには必ずあるT・U・Cショップ。あれを見るたびにつくづく、「パチンコ」というものの“不遇さ”を思わずにいられませんでした。

 私はパチンコはしませんし、何も擁護するつもりはありません。大した知識もありません。ですが、T・U・Cショップに行けばパチンコの出玉をお金に換えてくれるということくらい知っています……と書くと誤解になるということも。つまりパチンコ店での出玉の換金はNGなので、店は客に出玉と引き換えに何かしらの景品(特殊景品)を渡してくれる。客がその景品をT・U・Cショップに持って行って、そこで初めて換金できる、ということくらいは知っています。

 ただまぁ要は、実態としてパチンコの出玉を現金に換えることはできるわけですから(パチンコ店内ではありませんが……といいながら、これは驚きだったのですが、本書によると店内で換金できる県があるそうです)、T・U・Cショップの存在は、日本的な建前を重んじる社会にそぐわしい、象徴的な存在だなぁと、不思議な感覚を覚えながら見ていました(実際、パチンコは日本独特の文化のようです)。


 ところでパチンコについてはずっと気になる存在でした。人気のコンテンツはすぐに「CR~~」とパチンコ台になる。CR新世紀エヴァンゲリオンとかCR北斗の拳とか……ミュージシャンが台になることもありましたし、「えっ、そんなものも?」という台もあったように思います。「メーカーは必死になってコンテンツ探してるんだろうなぁ」としみじみ思っていました。
 TVでも、昔はパチンコ・パチスロ機メーカーやパチンコ店のチェーンのTVCMなんてなかった気がしますが、最近は目立っています。有名女優やタレントがパチンコ店チェーンのオーナーと熱愛とかいうニュースもたまに聞いた記憶があります。
 一方で、『闇金ウシジマくん』(TV版)で債務者がパチンコをよくやっているように、借金とか生活保護とか、そういう言葉と一緒に語られる。昨今、生活保護の不正受給が報道されるにつけ、ますます気になる存在となっていました。

 ですので、本書を書店で見かけた時に興味をひかれ、すぐに手に取りました。
 結論からいえば、パチンコについて知らない素人がおそらく不思議に思うであろうことを、分かりやすく解説している、入門にピッタリの一冊でした。とても面白かった。パチンコ店の経営や業界で動いているお金の規模感がつかめるし、知らず知らずにパチンコに対して持っていた思い込みが覆されました。筆者ら(共著)はパチンコのジャーナリスト、ライターなどとしてその業界で食っている存在ではありますが、業界に寄り過ぎた感じもしませんでした(ただ、ヒステリックなパチンコ否定論には辟易している感じが面白いように見て取れました)。


 ところで上に書いたような、パチンコ店で直接お金を渡さないシステムは「三店方式」と呼ばれるそうです。なぜこういう仕組みなのかといえば、風俗営業法第23条で、遊戯場営業者は「現金又は有価証券を商品として提供すること」「客に提供した商品を買い取ること」を禁じてられているから(違反すると6カ月以下の懲役もしくは100万円以下の罰金)なのですが、さらに詳しくは本書を読んでいただければと思います。
 ただこの面倒な仕組み、適法性については議論があるそうです。「そりゃそうだろう」と思いってしまいますが、パチンコ店チェーンが上場できていないのはその証拠と言われているそうです。ニュース


 本書は面白かった。だからといってパチンコをやってみたいとは思いません。しかしIPOの件数が減ってしまった今、将来においてパチンコ関係企業の上場が認められるようになるのか、TVCMなどの広告活動の行方がどうなるのかなど、経済に与える影響について注視しておきたいと改めて思いました。もちろん、そもそも適法性について疑義が提示されている訳ですから、その議論が今度どうなっていくのかも気になります。公営カジノについてはちょっと関心があるのですが、パチンコの存在についてもあわせて語られるべき論点でしょうから、この点も気にしておきたいと思います。

 いずれパチンコ否定論についても読んでみることにします。

 ところで「T・U・C」って何なんだろうと思ってウィキペディアをみたら、「東京商業流通組合」の事業部門である東京ユニオンサーキュレーション株式会社(Tokyo Union Circulation)の略とのこと。へー。
 あと本書の副題はイマイチな気がしました。「サルでも分かる」と「ここだけの話」は両方ともありがちな、“とってつけ”の文言。それをさらに重ねているのが「うまくないなぁ」と。