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2019年7月26日金曜日

ヨッピー『明日クビになっても大丈夫!』は”わかりみ”しかない──クリエイター、フリー志望者必読の書

2017年発売のヨッピーさん『明日クビになっても大丈夫!』(幻冬舎)を今さらながら読んだ。よくヨッピーさんのことを知らない人が持っているであろう彼へのイメージが、いい形で覆される、納得感あふれる、わかりみにあふれる一冊だった。

2017年1月16日月曜日

メディアをつくるということに関するメモ


「メディア」という、ざっくりとしたテーマでちょっとしたスピーチを頼まれたので、あらためて考えていることなどを整理した。田端さんの『MEDIA MAKERS―社会が動く「影響力」の正体 (宣伝会議)』からコンテンツの軸については引用させてもらいつつ、過去に複数のメディア関係者から聞いて自分なりに納得できた視点を思い出しながら、まとめた。十数枚のスライドに数時間でまとめたものを、簡単に振り返っておく。

2017年1月12日木曜日

価値を見つける労をいとわないこと--TX「家、ついていってイイですか?」が面白い

テレビ東京ウェブサイト
テレビ東京Webサイトより


「誰でも自分の人生を題材に一冊くらいは本が書ける」--。

とそんなことを聞いた覚えがある。
それが本当かどうかは分からないし、その本(人生)が誰にとって面白いのか、役にたつのかたたないのか、売れるのか売れないのかは分からない。でもきっとそうなんだろうなあと思っている。

2016年6月27日月曜日

FinTech onlineをつくった。編集者募集中


今年の春にフィンテックに関する国内外の記事を掲載するメディア「FinTech online(フィンテック オンライン)」を立ち上げた。

自分は昨年からZUUに参加して、主にZUU onlineの編集に携わってきたが、もともとZUUが「金融×ITで世界をかえる」とうたっていることから、ZUU onlineでもフィンテックに関する報道には力を入れていた。

遅きに失した感はあるものの、この際そこを切り出そうということで今年の年初に「FinTech online(フィンテック オンライン)」を単体のメディアとしてスタートさせ、今春に本格オープンさせた。

2016年2月17日水曜日

反対意見を述べることの意味 「とにかく言うべき」か「相手を慮れ」か

© フジテレビ

誰もが知るヴォルテールの言葉に、「私はあなたの意見には反対だ、だがあなたがそれを主張する権利は命をかけて守る」というものがあるsそうです。

意見が対立した際に、「まぁ、それぞれに意見・考えの違いがあるものだ」と考え、判断は第三者に任せるのが正しいのか。それとも(影響はともかく)「違う」と反論すべきなのか。

月9ドラマ「いつかこの恋を思い出してきっと泣いてしまう」内の描写で、介護の現場を過酷に描きすぎていることに対し、日本介護福祉士会が配慮を求めるよう意見書を送ったという。今回の話に限らず、相容れない意見に触れた時に反対意見を述べるという行為については、いつも整理できない。

2015年6月13日土曜日

コンテンツ制作者にお金が渡る仕組みをつくるには――下北沢B&Bで「ネットニュース時代のジャーナリズムとは」鼎談を聴いて





現代ビジネスの瀬尾傑さん、NewsPicksの梅田優祐さん、ニュースソクラの土屋直也さんの鼎談「ネットニュース時代のジャーナリズムとは」が下北沢のB&Bで5月27日夜に開かれたので聴いてきた。

日経鶴田問題 内部批判したスター記者「ネットで課金文化をつくりたい」


梅田さんのお話はNewsPicks関連のイベントに何度か出席してうかがっているが、瀬尾さんや土屋さんの話は初めて。

ソクラのことは知らなかったのだが、元日経記者の土屋さんが昨秋立ち上げたニュースメディアとのことで、立ち上げた理由について土屋さんは「新聞には制約があり、フリーのほうが自主規制なく書ける。中間管理職がとがった記事を丸くする作業をしていて、このままではジャーナリズムがなくなってしまうのではという危惧から」と話していた。

土屋さんは日経の経済部次長時代に、文藝春秋で鶴田元社長(相談役)を批判する記事を書いたことで知られる。現役の社員が元社長を批判するというのはなかなかシビれる事態だ。

土屋さんの説明によれば、日経の株主は社員のみで構成されていて、株主提案のハードルが低かった。鶴田氏は相談役という定款にあるポストだったので定款変更の提案を考えていたらしい。記事を出すにあたっても弁護士と充分相談し、発売後はテレビに出まくろうと思っていたが、発売4日くらい前に相談役辞めていたことが判明。このため雑誌が出てからは、なぜ蒸し返すようなことをと批判されたという。

日経は電子版の会員が40万人ほどで成功しているほうだが、「辞めたのは新聞の将来はないと思ったから」(土屋さん)とのこと。4200円という高い値段設定は、紙版が食われることを避けるためで、「安かったらもっと会員集まったかもしれない」としたうえで、「(紙の)新聞を抱えているとそこから脱出はできない。新しいものはできない」と言い切った。

そのうえで、ソクラという課金メディアをつくったのは、「ネットでも課金文化をつくりたい」から。

そのソクラは他メディアの記事紹介(キュレーション)は無料だが、独自記事は1本10円で読める(近く20円にするとのこと)。読み放題は月500円。編集体制は内製もあるし、外部ライターも活用。独自記事の7割くらいは外部からとのことで、固定ファンがついてきたライターもいるらしい。そしてソクラの特徴は「続報リクエスト」。面白いと思った記事に対して読者が続報をリクエストできるものだ。

PV主義からの脱却が課題 「2chからくるような読者は要らない」


瀬尾さんはウェブメディアの課題として「PVからいかに脱するか」を挙げた。これはテレビの視聴率主義、雑誌の販売部数と同じだ。

例として朝日新聞の吉田調書問題を挙げ、見出しに「角度をつける」ことが行われている点に言及。「読まれるためにわかりやすく、センセーショナルなものがつけられている」と述べ、「記事の内容は価値あるものだったが、角度をつけてゆがめてしまった(もったいない)」とした。

瀬尾さんが編集長を務める現代ビジネスでは、PVに依存しないモデルをつくろうとしているといい、その手段として、「読者の質をあげる」ことを意識しているとのこと。別の言い方をすれば、所得層をあげる、ビジネスでも決裁権限を持った人たちにするということで、「2chとかからくるような人は要らない」と言い切った。

さらにネットメディアが過渡期にあるという認識を述べ、その理由を「既存メディアの問題点にソリューションを提示できていないから」と説明した。現代「ビジネス」というネーミングの理由を問われると、「広告単価があがるから」と回答。構成についてはハフィントンポストを参考に、「政治経済をメインに、話題になるものも入れる」方針だという。

土屋さんは吉田調書問題について「朝日の中間管理職問題」と解説。新聞は「1面アタマになりやすい見出し」をつける傾向があり、これは「現場記者が嫌がるようなもの」として、「局長などではなく中間管理職が決めている」と説明。「新聞の病の一端」と話した。

どうやってお金を稼ぐ(運営資金を確保する)か


堀江貴文さん、佐藤優さん、古賀茂明さんをはじめとした著名人のメルマガビジネスについて瀬尾さんが触れ、「メルマガつくるといった発想は?」と問うたところ、土屋さんは「ネットにジャーナリズムが残るにはプラットフォームにならなければいけない」としてメディアという選択肢にしたことを明かした。

梅田さんは「プラットフォームを自分たちでやっているかどうかがカギを握る。コンテンツ提供型には懐疑的で、FacebookやGoogleに握られてしまう」と危機感を明かした。コンテンツのばら売りについては、「それもありえるが、まずは有料文化・課金文化をつくりたいと考えている」と話した。

その上で、「最初は(ニュースや記事を)自分たちでつくる気はなかった」と明かし、「これからはプラットフォームとメディアの境がなくなる」との考えを披露。今年2つ捨てることにしたといい、それは「(自分たちが)メディアであるという概念」と「PV」だという。


現代ビジネスはウェブメディアだが、運営は講談社という出版社。瀬尾さんは雑誌読み放題のdマガジンについて触れ、「出版社にそれなりに(お金が)入ってくる(読まれた分だけ)」と一定の評価をしたうえで、「今は(紙と)カニバってないが、dマガジンユーザーが(紙を)買うようになるとは思えない。これで儲かってるうちに投資しないと(出版社はやばい)」との考えを提示した。

梅田さんが「これから価値が出るのはクリエイター集団」と述べたこともあって、質問として、「既存メディアにはクリエイター集団はつくれないのか?」というものがあった。これに対して梅田さんは「強烈なトップダウンでかえよう、かわろうとしているトップがいるか」がカギと話し、ビジネスモデルができればクリエイターの給料があがるから、既存メディアからウェブへの大移動が起こると話していた。


このほか、ウェブメディアが大手企業に買収される案件が相次いでいることもあって、メディアの買収についても話題になった。梅田さんは「売る気はない」と明言。土屋さんは「プラットフォームと組みたいという思いはあるが、独立性は担保したい(Gunosyには売らないw)」と話す反面、「コンテンツにいい値段がつかないのはプラットフォームが強すぎるから」との考えも示した。瀬尾さんは「僕は売りたい」と本気ともつかない考えを示し、海外ではメディアを育てて売るという流れが当たり前のようにあると指摘した。


* * *

ここからはざっくり感想。

ソクラのことを知れたのはよかった。

元新聞、元雑誌、元金融のウェブ業界という属性の異なる三者による鼎談という企画もよかった。「ジャーナリズム」という文脈からすると、NewsPicksは編集長の佐々木さんのほうがよかったのかもしれない(彼も元雑誌だが)。

ウェブメディアが広告以外のマネタイズ方法を確立できるかどうかは、ライター・エディターとしてだけでなく、メディア運営に関わる者としてもビジネス的に注視し、考えていきたい問題だ。

ウェブ上のコンテンツは無料であるという考えが当たり前だった時代を経て、cakesなどの登場もあって、「いいコンテンツにはお金を払う」ということが浸透してきてはいると思う。

偶然、朽木さんのインタビュー(と対談)を読んだばかりだったので、ウェブライターの立場で「どうやって稼ぎ続けるか」という問題についても考えた。それは個の努力でどうにかなる人もいるだろう(というか、それしかない)。

しかし、構造としてクリエイション・制作に携わる人たちにお金がしっかり渡るようにもしなければいけない。それは1ライター、1エディターとしていいコンテンツを作り続ける努力だけでは解決しない。今回鼎談に出られた三者のように、メディア、ビジネスのオーナーがしっかり挑戦し続けること、それをいろんな人たちがそれぞれの方法で支え続けるしかないのかなぁと思った。

いい本、いい記事、いい書き手、期待する作り手、面白いと思ったものにはちゃんとお金を払うこと。これはウェブメディアやウェブの記事についてだけ言えることではなくて、アニメや漫画など、いわゆる「コンテンツ」全般に関わる。

自分が作り手でなくても、面白いアニメや漫画、小説、記事などをこれからも楽しみたいのであれば、小さな努力かもしれないけれど、ちゃんと課金すること。もちろん作り手としては、「お金を出したくなる、出してもいい」コンテンツを作らなければいけないのだけれど。


今回このエントリに書ききれなかったことも含めて、いろいろと面白いネタ、エピソードもあったし、総じて満足なのだけれど、2時間近く(だったかな?)固い椅子に身体を縮こまらせて座っているのはちょっと辛かった。

B&Bは定期的に面白いことをやっているので、いつか行きたいと思っていたが、今回ようやく足を踏み入れられたのも収穫。ただ私鉄ユーザーではない私にしてみれば、やはりちょっと遠くて、天狼院のほうがアクセスの面で便利なため今後も頻用しそうだなと思った。


2015年5月20日水曜日

はあちゅう『半径5メートルの野望』感想――”当たり前”ができる強さ

はあちゅうと恋チュン


はあちゅうさんの『半径5メートルの野望』。突飛なことが書かれているわけではない。特別な境遇にある人にしかできない、特別なメソッドが提示されているわけでもない。いうなれば「当たり前」のこと、誰もが「そうすべきだよな」と思える方法や考え方がまとまっていると思う。でも、誰もがはあちゅうさんのようにはなれない。それはつまり、「当たり前」を続けることがいかに困難なことかということなのかもしれない。


発売してすぐに読んだ後、同僚に貸していたのが戻ってきたので、メモしておいた箇所について感想をまとめておく。

2015年5月13日水曜日

メディアが届けるものは読者が「読みたいもの」だけでいいのか――Webと新聞から考える 新時代のニュースとメディアに参加した



Webと新聞から考える 新時代のニュースとメディア~朝日新聞メディアラボで語り合う夜~に参加した。3人のパネリストのうち2人が朝日新聞の方(うち1人はハフに出向中)ということもあって、新聞出身の自分としては、もう1人のパネリスト、ログミーの川原崎晋裕さんの話のほうがササったので、振り返っておきたい。

2015年5月5日火曜日

【ドキュメンタリー】半世紀続く活版印刷の新聞社(秋田)――取材、組版、印刷など一人で担う80歳



テレメンタリー「たった一人の新聞社~活版印刷で半世紀~」を観た。人口2400人あまり、高齢化率50.2%の秋田県上小阿仁村で、半世紀にわたって新聞を発行し続けている加藤隆男さん(80)を追ったドキュメンタリー。タイトルを見て面白そうだと感じ、録画してすぐ観たのだが、何が伝えたいのかちょっと分かりづらかった。


自転車免許制は無理だがナンバーとミラーの設置は妙案では

TVタックルのテーマが「自動車免許アリナシ大激論!」。いきなり免許制度を導入するのはコスト面からして非現実的だろう。ただ、都心部で自転車通勤が注目されるなど、ロードバイク乗りも増えているであろう現状を踏まえた議論の機会としていい企画だと思った。

自分は別に自転車のことが嫌いな訳ではないが、街なかで遭遇する自動車乗りのマナーは目に余ると思うので、指導や摘発を厳格化、罰を重くしてもいいのではないかと思っている。

たとえば、歩道を我が物顔で走る、道を空けさせるために警笛を鳴らすーー。最近はスマホ触りながら運転するというバカまでいる。自転車で事故起こして誰かに怪我させたら、どれだけの補償を求められるか分かってないのだろう。警笛のベルを鳴らすのだって本来ダメだとうことを知らないのだろう。

厳罰化でどれほど違反行為が減るのか検証、予想は必要だし、啓発啓蒙も合わせてしなければいけないと思う。そもそも厳罰化では犯罪は減らないという声もあろう。だが、罰金の額が増えれば単純に警官もちゃんと取り締まるようになるし、今の意識の低い自転車乗りも自分の運転を見直すのではないだろうか。

番組では、自転車にナンバーやサイドミラー設置をするよう提案があったと思うが、意外とこれはいい案だと思った。人や車に当たって逃げる自転車もいるそうだし、車道を走らせる以上はミラーは要るだろう(ナンバーは免許と同様、行政コストがかかりそうだが)。

番組では他に、自転車専用道の設置も望ましい例として挙げられていた。増やしていくべきだろうが、すべての道路に造っていくのは費用からしても難しいだろう。取り締まりや罰を厳しくするだけではなく、こうした取り組みも合わせて実現させてほしい。

たしかにナンバーやミラーの設置は、レースの練習で自転車に乗っている人にとっては、賛成しがたい案だろう。

しかし意識の低い自転車乗りが相当数居ること、当たると危ないモノであるということ、実際に事故が多数起きていることを踏まえて、練習は専用の場所で行うなどしていただくほかないと思う。

ちなみに、番組出演者が話したところによると、自転車事故の件数は2006年の17万件から2014年は11万件くらいと減っているが、摘発(?)件数は585件から8070件に激増しているそうだ。
(この統計の定義は未確認だし、なぜこういう変化になっているのか分からないが、追って確認したいので、備忘のために記しておく)

2015年4月2日木曜日

「NewsPicksと考えるメディアの未来」を聴講。自分なりのNPの使い方、評価点に気づく


NewsPicksとサイボウズ式のコラボイベント「NewsPicksをこう変えろ "Pickerピッチコンテスト" Supported by サイボウズ式」に参加した。自分なりに、NPのどこを評価しているのか、どこに不満を感じているのか、今後どう使っていこうとしているのかが整理できた。

2015年1月2日金曜日

小籔千豊さんと中川淳一郎さん 2人が否定するもの――年末年始に読んだ本『夢、死ね!』『中身化する社会』


年末のアメトーーク!5時間SPが2014年の放送を振り返る内容で、小籔千豊さんの名言が紹介されていた。

「テレビ出てる人間は異常者ばっかり。普通の人間は出れへん。 ヘンなヤツばっかり出てるから、マネするなよ子供は! 夢なんかすぐ捨てろ! やりたくないことをやるのが社会! それがジャングルや!」というもの。この「やりたくないことをやるのが社会」というのは、本当にそのとおりだと思う。

2014年9月8日月曜日

新潟のかっこいい11歳が一人でつくる新聞『別府新聞』



先日偶然、フジテレビの深夜で放送された第23回FNSドキュメンタリー大賞ノミネート作品 『小さな新聞社 社長は11才』を録画して観た。新潟総合テレビ制作の番組で、新潟県十日町に住む別府倫太郎君(11)が一人でつくっているウェブ新聞の話だ。番組紹介をみたとき、「どうせ街のほのぼのネタかなぁ」くらいに思って気軽に録画したのだが、とんでもなかった。驚き、感心し、考えさせられ、そしてとても大切なことを思い出させられた気がした。嫉妬のような複雑な感情を抱いた。

リンク 別府新聞

倫太郎君は病気を抱えていて、薬の副作用などからいじめがきっかけで学校には行っていない。僧侶に自分の疑問をぶつけて「死と生」について語り合い、ジャズが好きでコラムを書き、吉本隆明・糸井重里共著の『悪人正機』が面白いといい、『暮しの手帖』や『ブッダ』を読み、「本質」について、「限界」について語り、病気は自分だから戦わない、戦うのは病魔だという彼。「学校に行っていない思想家」という別名を持つというが、まさに言い得た別名だと思う。

彼はまた「大人っぽい」とよく言われるようだが、それもうなずける。

今の彼をつくりあげた要素に病気があるのは間違いない。だから彼がいま作り出しているものや、周りを魅了する性格や生き方だけをみて「すごいなぁ」「いいなぁ」というのはあまりに無邪気だ。だから嫉妬などという言葉を使っていいものか……とは思いつつ、それでも唯一、無比であることにはやはりため息をつくほど感心してしまうのだ。

彼は知りたいと思ったことがあれば、取材に行く。大変だといいながら自分の言葉で感じたこと、考えたことを発信する。与えられた疑問や問題を解消し、乗り越えるのではなく、自分が生きていて感じた疑問や問題を、自分で解決しに出かけて行き、考え、答えを出し、また時には答えが出ないまま、文章にし、発信している。これはメディアのあるべき、理想的な姿の一つではないかと思う。

「こんなことやったらいいな」「面白そう」「あんなことが知りたい」「これはどうなっているんだろう」……日々暮らしていていろいろな疑問や気づきに出合うが、思って終わりにしてしまうことが多い。妥協せずしっかりと向き合い、形にすることを面倒がらない。簡単そうで難しいことだ。

彼の姿をみて生じた疑問の一つが、「教育はこうあるべき」という画一的な考えがあまりに広がっていはいないだろうかということだ。そもそも教育は何の為にしている(与えている)ことなのだろうか。

知りたいという欲求が生まれれば取材に出かけ、発信する行動力がある彼の日常をみると、学校すら必要ないのではないかと思えた。誰もが彼のように感じ、考え、行動することはできないだろうから、学校がなくなってもいいというわけではない。かく自分も、子どものころ同じことができたかといえば、絶対に無理だった。

いや、「子どものころ」と限定するのはカッコつけだ。今だってできていないと思う。

子どもに教育を与えるのが親の義務だとして、学校に行かないという彼の選択を受け入れ、かつ学校に行っていない彼が“しっかりと”生きている今を生み出している家族は、その義務を果たしていないと言えるのだろうか。また、自分が親として同じ立場に立ったとき、果たして本人の望む生き方を支えてあげられるだろうか。

番組を観て、思い出すにつけ、また別府新聞を読むにつけ、考えるべきこと、おざなりにしていた大切なことを思い出させられる。録画を観てすぐに別府新聞にアクセスし、TWやFBでフォローし、記事もいくつか読んだが、すべては読み切れていない。ザッと目を通して終わりではなく、読みながら考え、考えながら読みたいと思う。ポレポレと。



2014年7月1日火曜日

セクハラヤジと水漏れ事件で感じたイタい加害者の存在 



先日、オフィスビルで水漏れ被害を受けた。

こちらは一方的な被害者なのだが、一ヶ月たってもお詫びもなく業を煮やして話し合いの場を持ったのだが、相手は外国人で文化が違うのか、詫びようとしない。相手の部屋の大家はこちらの大家と違っており、向こうは向こうで保険会社や大家と話し合いをしたのだろう、「自分たちに責任はない」と言い張る(実際はもっとひどい言葉だった)。訴えれば絶対に勝てる自信もあったのだが、こちらの側の大家さんがとてもいい人で、大家同士でもめさせるのはかわいそうなので、最低限壊れたキーボードの買い替え費用だけで終わらせることにした。

そこで思ったのは、向こうの頭の中には「お金を払う=責任がある=悪い」という図式があったのではないかということだ。

本当に自分たちが悪くないと思っているのだとしたら、相当イタい。けれど、そうではなくて、すでに向こうは話し合いをして、賠償責任は大家なり保険会社なりにあるということを確認していたのだろう。とするとやはり、「自分たちにお金を払う義務はない」だから「悪くない」、そして「謝る義務はない」ということになったのではないだろうか。

水が階下に漏れたのはビルに問題があったのだとしても、普通に使っていれば漏れなかったわけで、100%問題が借り主になかったわけではないと思われる(このあたりの説明は先方の大家が要領悪くよく分からないが、借り主の管理がまったく問題がなかったとは到底思えない)。この場合、日本人的感覚(敢えてこういう言い方をするが)からすると、まずは申し訳なかったとお詫びをしたうえで、そこではじめて「被害の賠償については保険会社から……」ということになるのが普通の感覚だと思う。

こういうことがあってすぐ、都議会のセクハラヤジ問題があった。

とかくセクハラでは、加害者自身が加害者であることを自覚していないことが多いように思えるが、今回の事件で驚きだったのは、どんなに責められても「あれはセクハラじゃない」と言い張る人が見受けられたことだ。発言などの加害行為をしてなお気づかないとしても、言われた相手がハラスメントを受けたと言っているのに、「違う」というのは何を根拠にそういえるのか、まったくもって理解しがたい。 

セクシャルハラスメントのsexをいわゆる性交(をにおわせる)という意味で捉えている人がいることも驚きだったし、性別に由来するのだと言われても認めないのは、これもイタいとしか思えない。

こういうことをいうと、塩村議員を擁護するのかとか言われそうだけれど、別に擁護もしないし、政治家として支持しているわ分けでもない。それに、そもそもそんな過去は今回のことに関係ない。

彼女はたしかに議員になる前に年の差婚についてヒドい物言いをTwitterでしていて、過去とはいえ「ひどいことを言うなぁ、信じられん」とすら思う。

だが、だから何だというのだろうか。相手が誰だから、どんな人だから、あの発言が許されるわけがない。塩村議員がヒステリックになって加害者であることを世にアピールしたり、自分の政治家としての知名度をあげようとしたりすることを容認するつもりはない。だけど逆に、マスコミやネット住民が、今回のセクハラヤジ発言とは直接関係のない過去を掘り起こして、彼女が反論するに値する人間かどうか検証することも容認できない。

過去は過去。今回のセクハラはセクハラだ。



被害を受けたと主張する人が出たら加害行為は当然あったのだ……とは言えない。それはセクハラだってそうだ。えん罪だってあり得る。それに、ときに人は自分の被害は大きく言うものだ。被害者の顔をした加害者だって世の中には居る。しかし、加害者であると指摘をされた人がまずすべきなのは、可能な限り客観的な視点から自らの行為が被害を生んだかどうかを検証することだ。その結果を真摯に受け止め、謝るべきは謝ることではないかと思う。もちろん、反論すべしという結果であれば、しっかり反論すべきだ。何か言われたら謝る、というのはおかしい。



しかし、こんな当たり前のことがなかなかできないんだよなぁ……。謝るべきと思ったらちゃんと謝ろう(=謝らなくていいと思ったら謝らない)と思った2つの事件でした。

2014年1月28日火曜日

海外ドラマで英語リスニング


昨春から英語のリスニング力を高めようと海外ドラマを観まくっています。

観ているのは2013年4月に契約したdビデオと(紛らわしい名前だけれど)BS258chのディーライフ/DLife。今までに観たドラマシリーズをざっと挙げるとこんな感じ。

視聴済み
(※24は続く予定)
一時中断中
(放送・提供分は視聴済)
ツイン・ピークス NIKITA/ニキータ
・シーズン1(8話) ・シーズン1(22話)
・シーズン2(22話)
24 -Twenty Four- LAW&ORDER 性犯罪特捜班
・シーズン8(24話)※ ・シーズン1(22話)
・シーズン2(21話まで)
プリズン・ブレイク リゾーリ&アイルズ
・シーズン1(22話) ・シーズン1(10話)
・シーズン2(22話)
・シーズン3(13話) 華麗なるペテン師たち
・シーズン4(22話) ・シリーズ1(6話)
・ファイナル・ブレイク(2話) ・シリーズ2(6話)
ヴァンパイア・ダイアリーズ
・第1シーズン(22話)
アンダー・ザ・ドーム
・シーズン1(10話)
ホームランド
・ シーズン1(12話)
コールドケース迷宮事件簿
(断続的、シーズン3で中断)
視聴中(Dlife) 視聴中(dビデオ)
バーン・ノーティス
元スパイの逆襲
ザ・プラクティス
ボストン弁護士ファイル
・シーズン1(12話) ・シーズン1(13話)
・シーズン2(16話) ・シーズン2(21話)
・シーズン3(16話まで) ・シーズン3(2話まで)
CSI:科学捜査班 MI-5 英国機密諜報部
・シーズン1(23話) ・シーズン1(6話)
・シーズン2(24話まで) ・シーズン2(10話)
・シーズン3(10話)
クリミナル・マインド
FBI vs. 異常犯罪
・シーズン4(7話)
・シーズン5(10話)
・シーズン6(4話まで)
・シーズン1(22話)
・シーズン2(23話)
・シーズン3(20話)
・シーズン4(17話まで)
ホワイトカラー
・シーズン1(14話)
・シーズン2(14話)
・シーズン3(16話まで)
コバート・アフェア
・ シーズン1(5話まで)
西海岸捜査ファイル
~グレイスランド~
・ シーズン1(4話まで)

ナンバーズ
天才数学者の事件ファイル

・ シーズン1(2話まで)


ちょっと見過ぎですね……。いま計算したらざっと600エピソードくらい観てました。

基本的には、通勤、退勤の電車でdビデオ(タブレット・スマホ)で観るか、自宅で夜中にDlife録画分を観ているのですが、半年以上、毎日平均1エピソード以上は観ている計算なので、だいぶ耳が英語に慣れてきたように思います。また、ほとんどが犯罪捜査、スパイものなので、警察用語や刑事訴訟の仕組みなどに詳しくなったような気もします。

ほとんどがアメリカの映画ですが、華麗なるペテン師たちが結構面白かったこともあって、今はガシガシ観ているのは、同じBBC製作の「MI-5」です。なかなか面白いスパイドラマですが、国内統括のMI-5のお話で舞台もほとんどロンドンなど英国国内でなので、画づら的にちょっと息がつまる感じも。

面白いシリーズはたくさんありますが、特にお気に入りはクリミナル・マインド。プロファイリングの過程が面白いし、キャラも立ってていいですね。JJもかわいいし。<参考まとめ>

映画やドラマ観放題のサービスは、ここで挙げたdビデオ以外にも有名なHulu、USENが運営するU-NEXTひかりTV(NTTぷらら)などいろいろありますが、月額それぞれ1000円くらい(以上)します。その点、dビデオは500円と安いのでしばらく契約は続けたいと思います。

2014年1月20日月曜日

誰に対して言ってるのかよく分からない記事



新聞の見出しは記事の筆者が付けるのではないけれど、1月18日の朝刊13面、解説面の記事に付けられた「芥川賞 ゴールではない」にはちょっと引っ掛かった。「え、今さら?」「誰に向けて言ってるの?」という意味で。新人賞であるということは、芥川賞に関心がある読者は知っているはずだ(「あの受賞者を″新人″というの?」という実感があることは別にして)。

記事を読んでみると、過去の女性受賞者のこと、批判されながらもやがて認められるに至った受賞者のことを題材に書いていて、締め括りかたからしても、この内容ならこの見出しが付けられてもおかしくない(見出しを付けた人は悪くない)。

記事の最後は「新人賞の芥川賞をゴールと勘違いしたら、文学の終わりが始まる。」と締め括られているが、これは誰に対していっているのだろうか。

作家に対して? 作家が受賞をゴールと思うはずがないだろう(居たとしても余計な気もするけれど)。文学の読者に対して? 読者がそう勘違いしたら「文学が終わる」のだろうか? まさか…。

総じて何が言いたいのか分からない記事。「お祭り騒ぎの報道を見て何か一言言いたくなっただけ」という感じ。個人のブログならいいけど、商品である紙面に出して客に読ませる品とは思えない。いくら筆者の名前と顔を出し、名前にちなんだ連載タイトルをつけてコラムっぽくしたとしても、無理があると思った。

2013年11月21日木曜日

答えになっていない答え、もしくはサービスが不十分な答え



R25の「今週の彼女」で佐々木希さんのインタビュー記事が出ていて、見出しが「好きなタイプは落ち着く人」とあって、「またそのパターンか」と思ってしまいました。そこは見出しなので本文を読んでみると、


2013年10月18日金曜日

百合人文化祭に参加してきた

『百合人』という雑誌の創刊を記念したイベント「創刊!百合人(ユリスト)文化祭~百合 is PUNK!~」が10月14日、阿佐ヶ谷ロフトで開かれたので行って来た。登壇したのは、宇井彩野さん(百合人企画代表、フリーライター)、 藤山京子さん(覆面ライター)、 リリィ・マイノリティ(レズビアンアイドル)さん、そして 森島明子さん(漫画家)。正直、お目当ては森島先生で、イベントがあるのを知ったのも森島先生のツイートだったのだけれど、全体的に面白いイベントで、入場料1000円は安かった。



 同誌は未読、森島先生以外の方はよく知らずに行ったので、冒頭、リリマイの歌で幕開けだったのだが、失礼ながら「誰だ、誰だ?」と思ってしまったが、意外と(失礼)見入ってしまった。

   イベントの主な内容は、百合短歌を参加者からも募って披露しあうコーナーや、森島先生への質問コーナー、百合映画の紹介コーナーなどだった。以下でUst録画が観られるが、参加者の百合短歌はどれも良かった。なぜあの短時間に思いつくのか不思議だった。「老い」が最初のお題だったので、自分も考えて、いくつかシチュエーションは思い浮かべた。

 たとえば、初老のおばと、彼女を慕っている高校生くらいの姪の話。姪の気持ちに気づいてはいて、昔の自分も年上の女性に憧れたことを思い出して微笑ましいけれど応えられない(でも心のどこかでは抱きしめてあげたいと思っている)おばが、姪につけられた今どきの名前を可愛いと褒めるんだけど、姪のほうは、「おばと同じがいい」という子どもっぽい発想から、「おばさまみたいに『子』がついてる名前がよかった」みたいなことを言っておばを困らせる、みたいなのを妄想。

 結局31文字にまとめきれずタイムアップ。いくら考えても締め切りに間に合わなきゃダメですね。


Broadcast live streaming video on Ustream  

自分はまだ百合歴が浅いので、登壇者の皆さんが時々触れる作品などが参考になったし、「まだまだ勉強しなきゃいけないことはいっぱいあるな」と思わずにいられない2時間弱だった。

 終演後、登壇者の方とお話もしてみたかったけれど、何となく気が引けてご挨拶はできず。でもちゃっかり森島先生にはサインをいただいて帰りました(ありがとうございました!)。

 参加者の皆様、お疲れさまでした。http://akicocotte.weblike.jp/

2013年10月11日金曜日

「円谷」の名の責任――円谷英明『ウルトラマンが泣いている 円谷プロの失敗』を読んで



制作費の相場は200万。局から破格の550万もらいながら1000万もかけて番組を作っていた

 特撮の神様・円谷英二氏の孫、円谷英明氏の『ウルトラマンが泣いている――円谷プロの失敗 (講談社現代新書)』を読んだ。帯にも「なぜ創業者一族は追放されたのか」とあるように、要は円谷プロにおける一族の内紛の裏側が、筆者の立場から描かれたものだ。自分は熱心な特撮ファンというわけではないので、「あのスーパーヒーロー・ウルトラマンをめぐり、円谷プロの内部や周囲ではこんなにもいろんなことがあったのか」と大変興味深く、一気に読み終えた。
 章タイトルを読むだけでも興味をそそられると思う。

 第一章 円谷プロの「不幸」
 模型作りが大好きだった祖父/四一歳で早世した二代社長 ほか
 第二章 テレビから「消えた」理由
 東宝主導のリストラ/「ウルトラマン先生」の無謀/TBSとの関係悪化 ほか
 第三章 厚かった「海外進出」の壁
 問題は「同族経営」ではない ほか
 第四章 円谷プロ「最大の失敗」
 遅すぎたウルトラマンランド閉園/偉大なるマンネリではいけなかったのか ほか
 第五章 難敵は「玩具優先主義」
 デザインは玩具優先に/圧倒的だったバンダイの影響力 ほか
 第六章 円谷商法「破綻の恐怖」
 番組予算のからくり/ハワイやラスベガスで豪遊 ほか
 第七章 ウルトラマンが泣いている
 三度目のお家騒動/急転直下の買収劇/円谷一族追放 ほか

 1974年生まれの僕にとってのウルトラマンの記憶といえば、幼稚園のころ、エースやレオが好きで、仮面ライダーごっこではなく、ウルトラマンのお面を先生につくってもらって遊んだこと。あとは小学生になってから80や、アニメのザ・ウルトラマンを観ていたことくらいだ。特にお面を作ってもらったときすごく嬉しかったことを覚えている。円谷つながりの記憶では、これも幼稚園のころ、ゴジラの大ぶりな人形が雑誌の懸賞で当たったことを覚えている。

 また、これは数年前のことだが、編集長を務めていた雑誌FJのリニューアル2号でウルトラQを取り上げたことがある。その時はスタジオを借りてカネゴンに来てもらった。Qのファンを公言しておられた宮台真司さんに登場いただき、表紙にも出てもらったカネゴンと宮台さんの2ショットを中吊りで使わせてもらった。特集では、円谷プロの造型師である品田冬樹さんと宮台さんの対談、桜井浩子さん、イラストレーターの開田裕治さん、モリタクさんらのインタビューを掲載した。



 その当時も、円谷プロの窮状については噂では聞いていた。ちょうどフィールズの傘下に入った関係で渋谷に引っ越したころだったように思う。

 本書を読んで思ったことは、「これでは経営がうまくいくはずがない」ということだ。
 もちろん、そうした評価を後からするのは簡単だし、放逐された創業者一族が書いた一面的な見方であることも忘れてはいけない。しかし、その分を差し引いても……と思わずにはいられないほど杜撰なものだった。

 途中、「問題は同族経営ではない」という見出しがあり、「おいおい」とツッコミながら読み進めると、筆者はこういう見解を示していた。


円谷プロの経営の問題は、同族経営ではなく、ワンマン経営にあったのです(p.88)。

  たしかにそうなのかもしれない。そう思ってしまうほど、過去の社長に対する評価は厳しい。本書の言い分が正しいとすれば、「そりゃ破たんするわ」というようなありえない経営、どんぶり勘定ぶりだ。特に経費の無駄遣いはひどかったようだ。

 しかし、それだけで経営が傾いたわけでは決してない。

 制作にコストをかけすぎなのだ。ともすれば作り手の満足のために、コストを考えずにものづくりに没頭できる環境ができてしまっている。
 制作者の「手を抜いて作るのは視聴者に失礼だから手なんか抜けない」という気持ちは分かる。「作り手として自分が満足できるものを作りたい、でないと伝わらない」という言い分も分かる。しかしサークル活動じゃないんだから、そんな状態で続けていていいはずがない。たとえば「1000万もらって3000万使うけど、あとで儲かるから大丈夫……」なんてことがずっと続くわけがないのだ。

 見出しにも書いたが、30分の子ども番組の制作費が200万円が相場で、大人向けのドラマが500万円という時代に、円谷や550万ももらっていた。それだけ期待がかかっていたというわけだが、1000万近くかけて作っていたというから、そりゃもう大変なことである(p.33)。
 筆者はまたこうもいう。

円谷プロの経営陣は、伝統的に実業界の集団ではなく技術者集団で、経営感覚はあまりなかったと思います。

 そう、だからこそ外部の経営者が必要だったはずだ。
 筆者が「問題は同族経営ではない」とした理由は経営問題の背景について、筆者はこう説明している。


 その原因は同族経営にあると言われているのですが、私はこれに異論があります。一九七三年に叔父の皐さんが三代社長に就任し、皐さんの死後、四代社長には息子の一夫さんがなっています。その間、我々円谷一の家族は、円谷プロの経営の中枢には関与できなかったのです(p.87)。

 たしかに円谷英二氏の長男である一氏(二代社長)の子ども(二男である筆者ら3人)が中枢にいられなかったのは事実なのだろう。しかし一氏の家族が経営の中枢にいたからといって成功していたかどうかは疑問だ。

 円谷英二は特撮の神様だった。それは間違いない。
 しかし名経営者だったわけではない。
 そして、特撮の神様の子どもや孫が同じ分野で秀でているとは限らない。経営にたけているとも限らない。
 円谷英二という不世出の天才を活躍させる場としての円谷特殊技術研究所は不可欠な舞台だったのかもしれないが、その組織の持続と成長を、子孫に任せることには何の意味もない(というといいすぎか。大した意味はない)としか思えない。どうだろうか。
 それは何も円谷、映像ビジネスということに限らず、企業の事業承継において言えることなのだろうけれど。

 筆者は同じp.88にこうも書いている。


私は円谷エンタープライズや円谷コミュニケーションズに出ていた間、いずれ必ず円谷プロに戻って、かつての円谷プロのものづくりスピリットを取り戻したいと思っていたので(後略)

 この「ものづくりスピリット」は曲者だ。
 気持ちの問題に置き換えると麗しく聞こえてくるのだが、熱い気持ちがあるからといって成功するとは限らない。また「ものづくり」という言葉が出ると、聞こえがよく、専心することが麗しい、美しいことのように思えてしまう。
 だが芸術でもないのに、コストを湯水のようにかけ続けてはいけない。やる気と情熱は、必要条件だが十分条件ではない。熱い気持ちと冷静な判断力がなければ、いいものを作っても届けることができなくなり、やがては作れなくなってしまう。

 といいつつも、同情してしまう側面もある。
 筆者によれば1971年のキャラクタービジネスの売り上げは20億円で、円谷プロには収入として6000万入ってきたという。本書には「著作権ビジネスという麻薬」という小見出しもあるが、まさに感覚を麻痺させるには十分な大金といえる。「いま作るのにお金がかかっても必ず回収できる」と思ってしまっても仕方ないのかもしれない。
 それに日本は今と違って成長期にあった。消費が増えていくことも予想されていたのだとすれば、イケイケになってしまった当時を今から責めるのはさすがに気が咎める。

 たらればの話をしてもせんないのだが、筆者ら一族の一部が中枢にいたからといって成功したのだろうか……。
 筆者が書いた以下の文は残念ながら認めざるを得ない。
 
ウルトラマンが泣いているーー今にして思えば、現実の世界でウルトラマンを悲劇のヒーローにしてしまったのは、我々円谷一族の独善か、驕りだったのでしょう。


* * *

 本書の引用で面白いものがあったので合わせて紹介したい。庵野さんが特撮の将来を憂いて(?)語ったものだが、その通りだと思った。


特撮物はテレビでの空白期間が長すぎて、現状では若者に定着しづらいんじゃないですかね。(中略)空白期間が15m年近くあるわけで、これはなかなか取り返しがつかないと思います、今の30歳から20歳くらいまでの人は、特撮には何の興味もないですからね。(中略)僕等のせいだはアニメと特撮という共通体験があるんですけど、今の若い人はアニメとゲームなんですね、共通言語が。特撮をほとんど見ていない、というか興味もない人がほとんどです」
庵野秀明(2001年、 『円谷英二 生誕100年』、河出書房新社)

 特撮ファンではないといったが、特撮は好きだし、もの作りに従事している人たちには頑張ってほしいと思うし、日本の特撮業界、そして円谷プロには再び輝いてほしいと思った。