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2024年3月17日日曜日

『常識として知っておきたい裏社会』ーー裏社会の問題、他人事だと片付けてはいけないこと

 

常識として知っておきたい裏社会』(彩図社、懲役太郎、草下シンヤ)読了。元ヤクザのYouTuberと、裏社会に精通した編集者の対談形式で読みやすい。

懲役氏は名前通り、収監された経験がある元ヤクザとのこと。氏が現役だったのは暴対法の改正や暴排条例の施行などでヤクザ・暴力団への締め付けが厳しくなる前ので、今のヤクザを取り巻く環境を見て隔世の感を覚えている様子。ただいろいろ変わったとはいえ、ヤクザの論理や社会がどういうものか、(おそらく)変わらないであろうこともあるはずなので、氏の体験と、そのときの気持ち・考えを興味深く読むことができた。

2024年1月22日月曜日

『ルポ歌舞伎町』住人だからこそ見られたもの、聴けたこと、わいた感情

國友公司さんの『ルポ歌舞伎町』読了。Amazonのプライム会員ならKindleで無料で読める。2023年2月発行なので、まだ1年弱なのにもう無料で読めるという太っ腹。内容は、歌舞伎町に興味がある人なら一読して損はないどころか、とても面白く読めると思う(自分は数日で一気読みした)。

2023年9月17日日曜日

めいろまさんの『激安ニッポン』感想 貧しくなった(これからもっとなる)日本でどう生きていくか

Twitter(現X)のMay_Roma(めいろま)さん、谷本真由美さんの新刊『激安ニッポン』を読みました。タイトルどおり、いかに日本が安い国になったかについて、各種のデータを交えて整理、海外と比較して、予想される未来について警鐘を鳴らした一冊です。

2018年12月2日日曜日

教育するという不遜

© いらすとや
 「誰かが誰かを教育することなんてできない」--。ここ数年、自分にごく近い周囲に対するアウトプットの場で、この考え方を持っていることを幾度となく伝えてきた。

2016年2月17日水曜日

反対意見を述べることの意味 「とにかく言うべき」か「相手を慮れ」か

© フジテレビ

誰もが知るヴォルテールの言葉に、「私はあなたの意見には反対だ、だがあなたがそれを主張する権利は命をかけて守る」というものがあるsそうです。

意見が対立した際に、「まぁ、それぞれに意見・考えの違いがあるものだ」と考え、判断は第三者に任せるのが正しいのか。それとも(影響はともかく)「違う」と反論すべきなのか。

月9ドラマ「いつかこの恋を思い出してきっと泣いてしまう」内の描写で、介護の現場を過酷に描きすぎていることに対し、日本介護福祉士会が配慮を求めるよう意見書を送ったという。今回の話に限らず、相容れない意見に触れた時に反対意見を述べるという行為については、いつも整理できない。

2015年5月5日火曜日

自転車免許制は無理だがナンバーとミラーの設置は妙案では

TVタックルのテーマが「自動車免許アリナシ大激論!」。いきなり免許制度を導入するのはコスト面からして非現実的だろう。ただ、都心部で自転車通勤が注目されるなど、ロードバイク乗りも増えているであろう現状を踏まえた議論の機会としていい企画だと思った。

自分は別に自転車のことが嫌いな訳ではないが、街なかで遭遇する自動車乗りのマナーは目に余ると思うので、指導や摘発を厳格化、罰を重くしてもいいのではないかと思っている。

たとえば、歩道を我が物顔で走る、道を空けさせるために警笛を鳴らすーー。最近はスマホ触りながら運転するというバカまでいる。自転車で事故起こして誰かに怪我させたら、どれだけの補償を求められるか分かってないのだろう。警笛のベルを鳴らすのだって本来ダメだとうことを知らないのだろう。

厳罰化でどれほど違反行為が減るのか検証、予想は必要だし、啓発啓蒙も合わせてしなければいけないと思う。そもそも厳罰化では犯罪は減らないという声もあろう。だが、罰金の額が増えれば単純に警官もちゃんと取り締まるようになるし、今の意識の低い自転車乗りも自分の運転を見直すのではないだろうか。

番組では、自転車にナンバーやサイドミラー設置をするよう提案があったと思うが、意外とこれはいい案だと思った。人や車に当たって逃げる自転車もいるそうだし、車道を走らせる以上はミラーは要るだろう(ナンバーは免許と同様、行政コストがかかりそうだが)。

番組では他に、自転車専用道の設置も望ましい例として挙げられていた。増やしていくべきだろうが、すべての道路に造っていくのは費用からしても難しいだろう。取り締まりや罰を厳しくするだけではなく、こうした取り組みも合わせて実現させてほしい。

たしかにナンバーやミラーの設置は、レースの練習で自転車に乗っている人にとっては、賛成しがたい案だろう。

しかし意識の低い自転車乗りが相当数居ること、当たると危ないモノであるということ、実際に事故が多数起きていることを踏まえて、練習は専用の場所で行うなどしていただくほかないと思う。

ちなみに、番組出演者が話したところによると、自転車事故の件数は2006年の17万件から2014年は11万件くらいと減っているが、摘発(?)件数は585件から8070件に激増しているそうだ。
(この統計の定義は未確認だし、なぜこういう変化になっているのか分からないが、追って確認したいので、備忘のために記しておく)

2015年4月2日木曜日

「NewsPicksと考えるメディアの未来」を聴講。自分なりのNPの使い方、評価点に気づく


NewsPicksとサイボウズ式のコラボイベント「NewsPicksをこう変えろ "Pickerピッチコンテスト" Supported by サイボウズ式」に参加した。自分なりに、NPのどこを評価しているのか、どこに不満を感じているのか、今後どう使っていこうとしているのかが整理できた。

2014年10月8日水曜日

練習なし、試合だけでは「うまくなりたい」素人は楽しめない――人が集まる社会人スポーツサークルの秘訣

素人の「上達したい」気持ちに、明るく前向きな雰囲気でこたえる




社会人がスポーツをするとしたら、ジムや教室に入会するか、どこかのチームに入るのが一般的だと思う。前者はそれなりにお金もかかるので、気軽に始めるなら後者だろう。社会人が集まってやるスポーツは往々にして、「集まって試合をやって終わり」という形になりやすい気がする。だいたい時間がない中で集まるのだから、「そんなに時間はかけられないよ」いう言い分も分かる。たしかに仕方ないのだけれど、素人は基礎練習をしないと、いつまでも大して上達しない。いくら楽しめればいいと思っても、やはりうまくなったほうが、いいプレイができたほうが楽しめるはずだ。

2014年9月8日月曜日

新潟のかっこいい11歳が一人でつくる新聞『別府新聞』



先日偶然、フジテレビの深夜で放送された第23回FNSドキュメンタリー大賞ノミネート作品 『小さな新聞社 社長は11才』を録画して観た。新潟総合テレビ制作の番組で、新潟県十日町に住む別府倫太郎君(11)が一人でつくっているウェブ新聞の話だ。番組紹介をみたとき、「どうせ街のほのぼのネタかなぁ」くらいに思って気軽に録画したのだが、とんでもなかった。驚き、感心し、考えさせられ、そしてとても大切なことを思い出させられた気がした。嫉妬のような複雑な感情を抱いた。

リンク 別府新聞

倫太郎君は病気を抱えていて、薬の副作用などからいじめがきっかけで学校には行っていない。僧侶に自分の疑問をぶつけて「死と生」について語り合い、ジャズが好きでコラムを書き、吉本隆明・糸井重里共著の『悪人正機』が面白いといい、『暮しの手帖』や『ブッダ』を読み、「本質」について、「限界」について語り、病気は自分だから戦わない、戦うのは病魔だという彼。「学校に行っていない思想家」という別名を持つというが、まさに言い得た別名だと思う。

彼はまた「大人っぽい」とよく言われるようだが、それもうなずける。

今の彼をつくりあげた要素に病気があるのは間違いない。だから彼がいま作り出しているものや、周りを魅了する性格や生き方だけをみて「すごいなぁ」「いいなぁ」というのはあまりに無邪気だ。だから嫉妬などという言葉を使っていいものか……とは思いつつ、それでも唯一、無比であることにはやはりため息をつくほど感心してしまうのだ。

彼は知りたいと思ったことがあれば、取材に行く。大変だといいながら自分の言葉で感じたこと、考えたことを発信する。与えられた疑問や問題を解消し、乗り越えるのではなく、自分が生きていて感じた疑問や問題を、自分で解決しに出かけて行き、考え、答えを出し、また時には答えが出ないまま、文章にし、発信している。これはメディアのあるべき、理想的な姿の一つではないかと思う。

「こんなことやったらいいな」「面白そう」「あんなことが知りたい」「これはどうなっているんだろう」……日々暮らしていていろいろな疑問や気づきに出合うが、思って終わりにしてしまうことが多い。妥協せずしっかりと向き合い、形にすることを面倒がらない。簡単そうで難しいことだ。

彼の姿をみて生じた疑問の一つが、「教育はこうあるべき」という画一的な考えがあまりに広がっていはいないだろうかということだ。そもそも教育は何の為にしている(与えている)ことなのだろうか。

知りたいという欲求が生まれれば取材に出かけ、発信する行動力がある彼の日常をみると、学校すら必要ないのではないかと思えた。誰もが彼のように感じ、考え、行動することはできないだろうから、学校がなくなってもいいというわけではない。かく自分も、子どものころ同じことができたかといえば、絶対に無理だった。

いや、「子どものころ」と限定するのはカッコつけだ。今だってできていないと思う。

子どもに教育を与えるのが親の義務だとして、学校に行かないという彼の選択を受け入れ、かつ学校に行っていない彼が“しっかりと”生きている今を生み出している家族は、その義務を果たしていないと言えるのだろうか。また、自分が親として同じ立場に立ったとき、果たして本人の望む生き方を支えてあげられるだろうか。

番組を観て、思い出すにつけ、また別府新聞を読むにつけ、考えるべきこと、おざなりにしていた大切なことを思い出させられる。録画を観てすぐに別府新聞にアクセスし、TWやFBでフォローし、記事もいくつか読んだが、すべては読み切れていない。ザッと目を通して終わりではなく、読みながら考え、考えながら読みたいと思う。ポレポレと。



2014年7月31日木曜日

甲子園の過酷を汗と涙と美談で覆い隠すのはやめるべき

Webメディア「こむすぽ」に寄せる記事のネタとして、高校野球のことを書けないかと考えた。

© DX Broadrec


最近では、タイブレーク制の導入などの話が持ち上がり、ダルビッシュ有選手が学年ごとに投球回の制限をつけることを提案したことが報じられたが、少なくともそれくらいは必要だと思う。そもそも、春夏の甲子園は抜本的な改革が必要だ。

あの炎天下、連日試合をさせられ、勝ち残れば17−18歳の若者が100球も200球も投げた翌日にまた投げる……。それを汗と涙と美談というフタで覆い隠すのは時代錯誤も甚だしいと思う。

こういうことを書くと、「高校球児の夢を壊すのか」とでも言われそうだけれど、何も甲子園なんかやめてしまえと言っているのではない。一高校スポーツにしてはマスコミで取り上げられ過ぎな気もするが、そこで活躍した選手はプロ野球選手になることも多いし、プロ野球は依然大きなビジネスなわけだから、大きく取り上げられるは仕方ないだろう。人気や注目のネタは大きく取り上げられるものだ。いくらマイナースポーツが不平等を訴えたところで、そもそも平等である必要もない。

だが、それこそ「肩を壊してでも投げる」というようなことを美談にしていてはいけない。子どもを教育し、指揮管理する責任のある大人まで一緒になって、汗と涙で目を曇らせてはいけないと思う。甲子園大会の期日をのばせば、球場や阪神タイガースの興行に影響があるのだろうが、それは結局大人の都合だろう。

延長回数の制限やタイブレーク制の導入という話がでたのもいい機会だから、高校野球ファンこそ考えて、ファンとして声をあげてもいいのではないだろうか。

ところで、この話を考えていてちょっと気になって高校球児の数を調べてみたら、意外なことが分かった。少子化で子どもは減っているのに、高校球児は増えているのだ。

文部科学省の公表による高校の生徒数は、H25年度(2013年度)で332万人。一番多いときで平成元年度(1989年度)の564万4000人。その次に多いのが昭和40年度(65年度)の507万4000人だ。一番多い時の6割くらいにまで減っている計算になる。

出所:文部科学省

しかし日本高野連の硬式野球部員数統計によると、最新の2014年5月現在で17万人、ウェブサイトで公表されている最も古いデータで昭和57年(82年)の11万7000人だ。この間、右肩上がりで増えたわけではないが、増減を繰り返しながらも緩やかに増えている。また、高野連の加盟校も3488校(82年)から4030校(2014年)に増えている。

出所:日本高野連ウェブサイトデータより作成

文部科学省のデータは昭和23年度からと古いので、高野連が公表している昭和57年以降のものだけカットしてみるとこうなる。
高校生は減っているなかで、球児が少しずつ増えていることは分かる。

高校生の数がすなわち15-18歳の男女の数とは限らないまでも、これはなぜなのだろうか? 識者や専門家の意見を調べてみたい。

2014年7月1日火曜日

セクハラヤジと水漏れ事件で感じたイタい加害者の存在 



先日、オフィスビルで水漏れ被害を受けた。

こちらは一方的な被害者なのだが、一ヶ月たってもお詫びもなく業を煮やして話し合いの場を持ったのだが、相手は外国人で文化が違うのか、詫びようとしない。相手の部屋の大家はこちらの大家と違っており、向こうは向こうで保険会社や大家と話し合いをしたのだろう、「自分たちに責任はない」と言い張る(実際はもっとひどい言葉だった)。訴えれば絶対に勝てる自信もあったのだが、こちらの側の大家さんがとてもいい人で、大家同士でもめさせるのはかわいそうなので、最低限壊れたキーボードの買い替え費用だけで終わらせることにした。

そこで思ったのは、向こうの頭の中には「お金を払う=責任がある=悪い」という図式があったのではないかということだ。

本当に自分たちが悪くないと思っているのだとしたら、相当イタい。けれど、そうではなくて、すでに向こうは話し合いをして、賠償責任は大家なり保険会社なりにあるということを確認していたのだろう。とするとやはり、「自分たちにお金を払う義務はない」だから「悪くない」、そして「謝る義務はない」ということになったのではないだろうか。

水が階下に漏れたのはビルに問題があったのだとしても、普通に使っていれば漏れなかったわけで、100%問題が借り主になかったわけではないと思われる(このあたりの説明は先方の大家が要領悪くよく分からないが、借り主の管理がまったく問題がなかったとは到底思えない)。この場合、日本人的感覚(敢えてこういう言い方をするが)からすると、まずは申し訳なかったとお詫びをしたうえで、そこではじめて「被害の賠償については保険会社から……」ということになるのが普通の感覚だと思う。

こういうことがあってすぐ、都議会のセクハラヤジ問題があった。

とかくセクハラでは、加害者自身が加害者であることを自覚していないことが多いように思えるが、今回の事件で驚きだったのは、どんなに責められても「あれはセクハラじゃない」と言い張る人が見受けられたことだ。発言などの加害行為をしてなお気づかないとしても、言われた相手がハラスメントを受けたと言っているのに、「違う」というのは何を根拠にそういえるのか、まったくもって理解しがたい。 

セクシャルハラスメントのsexをいわゆる性交(をにおわせる)という意味で捉えている人がいることも驚きだったし、性別に由来するのだと言われても認めないのは、これもイタいとしか思えない。

こういうことをいうと、塩村議員を擁護するのかとか言われそうだけれど、別に擁護もしないし、政治家として支持しているわ分けでもない。それに、そもそもそんな過去は今回のことに関係ない。

彼女はたしかに議員になる前に年の差婚についてヒドい物言いをTwitterでしていて、過去とはいえ「ひどいことを言うなぁ、信じられん」とすら思う。

だが、だから何だというのだろうか。相手が誰だから、どんな人だから、あの発言が許されるわけがない。塩村議員がヒステリックになって加害者であることを世にアピールしたり、自分の政治家としての知名度をあげようとしたりすることを容認するつもりはない。だけど逆に、マスコミやネット住民が、今回のセクハラヤジ発言とは直接関係のない過去を掘り起こして、彼女が反論するに値する人間かどうか検証することも容認できない。

過去は過去。今回のセクハラはセクハラだ。



被害を受けたと主張する人が出たら加害行為は当然あったのだ……とは言えない。それはセクハラだってそうだ。えん罪だってあり得る。それに、ときに人は自分の被害は大きく言うものだ。被害者の顔をした加害者だって世の中には居る。しかし、加害者であると指摘をされた人がまずすべきなのは、可能な限り客観的な視点から自らの行為が被害を生んだかどうかを検証することだ。その結果を真摯に受け止め、謝るべきは謝ることではないかと思う。もちろん、反論すべしという結果であれば、しっかり反論すべきだ。何か言われたら謝る、というのはおかしい。



しかし、こんな当たり前のことがなかなかできないんだよなぁ……。謝るべきと思ったらちゃんと謝ろう(=謝らなくていいと思ったら謝らない)と思った2つの事件でした。

2014年5月10日土曜日

NEWS PICKS(ニューズピックス)今さら使ってみたら結構よかった

今さら使い始めたNewsPicksは結構いい 欲しいのは情報より解釈



TwitterやFacebook、ニュースサイトやポータル、メールなどで日々多くの「ニュース」に触れていて、関心のある話題と出合ったとき、「これはどう考えればいいんだろう?」と思うことがある。自分にとって専門外のトピックだと、どう考えていいかすら分からない。そういうときは自分なりに信頼している人、一目置いている人のTwitterやBlogに行って、何か書いていないか探す。起業家、大学教授、ジャーナリスト、デザイナーなどいろいろで、リベラルな人もコンサバティブな人もいる。異なる立場からの感想や意見を読むのがためになるからで、専門家も、視点の鋭い専門外の人もいる(法律の問題について鋭いコメントをするのが弁護士やヤメ検だけとは限らない)。何かしら視点を与えられるのは非常に助かる。

2014年4月25日金曜日

スポーツに関するwebメディア「こむすぽ」立ち上げ。ライター募集中!

きゅぽらスポーツコミュニティサイトより

 スポーツジムに通うとか、特定のスポーツチームに入るといったことをしないかぎり、気軽にスポーツを楽しむというのは、簡単なようだが実際には難しい。「今週末空いたから、ちょっと身体動かしたいなぁ」と思っても、一人で走ったり泳いだりする以外に選択肢は思い浮かばないのではないだろうか?

2014年3月11日火曜日

「恋届」、別に気持ち悪くなくない?


恋届」のニュースを聞いて、軽く「うまいこと考えるなぁ」と思った。
 
 なぜなら、婚姻届や離婚届はあるけど、結婚前のステータスについてはそういう書類がないからだ。ニュース本文ではなくタイトルだけ読んで「ゼクシィがやってるんかな」などと勝手に考えていたのだけれど、実際は流山市、自治体がやっているとのこと(といっても映画のPRらしいが)。

 それをなぜ調べたかというと、BLOGOSを読んでいて「流山市『恋届』の気持ちの悪さ」という記事を読んで、意図が分からなかったからだ。

 筆者がいう「そもそも公費を投じるような類のものなのか」という点については検証があってもいいと思う。大してかからないような気もするが、税金を使う以上、「使いました、ハイ終わり」でいいとは思えないからだ。

 けれど、これって狙いは話題づくりでは? ネタでは? そして実際、話題になっているのではないだろうか。

 関係者は、別に届けを出させたからといって、恋愛促進になるなんて思ってないだろう。そりゃあ、このネタをきっかけにして付き合うカップルも出るかもしれない。付き合うのかどうなのか、関係がまだ微妙な段階にあるときに「恋届出しちゃう?」とネタにして付き合いはじめる、なんてことがあってもおかしくない(だからといって、そんなに多くあるとも思えないのだけれど)。

 この「恋届」が少子化対策になるというロジックに飛躍がある、という指摘については、まぁそりゃそうだろう。”そもそも”本当に恋愛促進になるとは思えないからだ。NHKが取り上げるべきかということについては、重大な問題があるとは思えないので、別に取り上げても取り上げなくてもよかったのでは、という程度にしか思わない。

 しかし、”そもそも”こういう恋愛事をネタにするのに心理的抵抗感があるという人はいるだろうし、別にそれはそれでいいと思う。けれど「気持ち悪い」という評価の理由が納得できないので、何だか気持ち悪いのだ。

 僕はこの「恋届」については、「すごい! 素敵!」とは思わないが、だからといって別に気持ち悪いとは思わない。「ネタじゃん? よく考えたなぁ」「出さねーよwww」くらい。堀江さんは「くだらねーなwww」と書いてるけど、その反応、分かる。
* * *

 東日本大震災から3年。早い。地震発生時刻を少し過ぎてしまったが黙祷。

2014年2月24日月曜日

選挙の思い出(出たことはないけれど)ーー記者時代に取材したこと、退職後に事務所でバイトしたこと



 故郷・山口県の知事選挙で41歳の候補が当選したと聞いて驚いた。三重県知事に次いで全国で2番目に若いという。政策はよく知らないが年齢だけでいえば歓迎だ。しかしど田舎だけに議会対策には苦労するだろう。報道を見ると、原発問題については語らずに当選したなどとあり、争点にはならなかったようだ。前回、反原発を掲げて立候補した人はどうしたんだろうと思ってググったら、こんなインタビューがあった。読んでもなぜ出なかったのかよく分からないけれど、スタンスを支持している訳ではないので別にいい。

 選挙といえばいろいろ思い出がある。別に出た訳ではないが、記者時代は取材したし、アルバイトもやった。

2014年1月15日水曜日

都知事選の争点は「脱原発」?——争点を決めるのはマスコミなのか



 都知事選を目前に控え、「原発が争点だ」というよく分からない主張をしている立候補予定者がいる。それだけでなく大手マスコミの一部も争点に据えていて、これまた意味が分からない。

2014年1月8日水曜日

[公共機関での子どもの泣き声]「舌打ちくらいいいじゃないか」とはとても思えない

あけましておめでとうございます。2014年はもっと外に出ていこうと思っています。



 新年早々、堀江さんのツイートが話題になっています。公共交通機関で泣く子どもと親に対する批判で(参考:BLOGOStogetter)、やまもといちろうさんのツイートを見て知りました。これまで堀江さんの考えにはいろいろな面で共感を覚えていたのですが、この件に関しては賛成できません。一方、やまもとさんのツイートにはいちいち納得でした。とはいっても、堀江さんのコメントにも「なるほど」と思えるものもありました。

2013年10月24日木曜日

「君が男でプリキュアが好き、ピンクが好きでも何も悪くないんだよ」

© ABC、東映アニメーション


ある保育園児(男の子)の話です。

保育園の行事で水筒を持参しなければならなくなったのですが、自分の水筒が壊れてしまったので、おねえちゃんのを借りたそうです。お姉ちゃんのですから、女児向けのデザインで、絵柄はプリキュアだったそうです。

こう聞くと、「女の子用の水筒を持たされて、男の子は嫌だったんじゃないの?」と思うかもしれませんが、彼の場合は違っていました。


2013年7月2日火曜日

自分が自分であることの証明――映画「オブリビオン」鑑賞、「風立ちぬ」試写当選

 忘れること、忘れられること。その状態。忘却ーー。

 そんな意味のタイトルの映画「オブリビオン」を鑑賞した。予告編などから大作感がありありと出ていたが、実際は意外とシュッとまとまった作品だった。目新しさはないけれどジワジワ来る感じというのだろうか。これはネットで読んだのだが、トム・クルーズがこの作品を「2回観てほしい」と言ったそうだ。鑑賞した今、その意味が分かる。タイトルからして「記憶」にまつわる話と分かるだろうが、構成や意味をよくよく考えながら観たほうが理解が深まる作品だ。



 あらすじはこう。2077年、スカヴと呼ばれるエイリアンの侵略を受けた人類は、核兵器を使うなどして何とか勝利を収める。だが地球は壊滅状態となり、人類の大半は宇宙へ脱出、土星の衛星・タイタンに移住する。勝利から60年たった今、地球に残るのはトム・クルーズ演じるジャック・ハーパーと通信担当であるヴィクトリア(ヴィカ。アンドレア・ライズボロー)。2人は日夜、地球の水を採ってエネルギーに替え、タイタンに送る採水プラントをスカヴの残党から守るため上空から監視を続けていた。ヴィカは早く残り2週間の滞在期間を終えてタイタンに戻りたいと願っているが、侵略前の地球の記憶が残っているジャックは未練がある。
 ある日ジャックはスカヴの残党に襲われるが、なぜか彼らはジャックを殺そうとしない。その数日後、何かが地球に墜落する。ジャックが命令に背いて偵察に行くと墜落したのは宇宙船だった。そのカプセルの中に、以前からときどきジャックの夢に出てくる女性(オルガ・キュリレンコ)が乗っていた……。
 
 ネットの感想を少し見たら、「面白いけど物足りない」という書き込みが散見されたように思う。そこは同感だ。上にも書いたけれど目新しさがないということと、トム・クルーズ主演で派手なトレイラーを観せられた上で鑑賞しているので、ハードルが高くなっていることが理由だろうか。

 だがよくよく考えれば、「記憶」というものは自分のアイデンティティと深く関わる問題で、本作は実はそら恐ろしい内容だったのではないだろうか。その意味では、エンディングもハッピィといっていいのかどうか、いまだによく分かっていない(その意味でもまた観たほうがいいのだろうけれど)。ジャックやヴィカがもし●●ーなのだとしたら、エンディングの52は49と”同じ”なのだろうか? いや、そもそも”同じ”とは何なのだろうか。同じでなかったら何だというのか。現状の技術ではこうした状況がすぐに生まれるわけではないだろうけれど、自分とは何か、何をもってアイデンティティが形成されているのか、という問題は今にもつながることではないかと思う(ゴーストがダビングできるけれど大量複製すると劣化していくという攻殻機動隊の設定に似たところがあるなと思った)。
 「自分とは何者なのか」「自分が本当に思っている自分(人物)なのか」ということは、いくら自分が考えても分からないし、証明できない。そこで百歩譲って自分が、実は思っている自分ではなかったとする。さて、その時に周りの人はそれを受け入れてくれるのだろうか。その点を不安に思った。

 ネタバレ避けながらだとスッキリ書けないけれど、このSF作品は意外に重要な問題に切り込んでいるといえるのかもしれない。

 あと、モーガン・フリーマンにもうちょっと活躍して欲しかった。オルガ・キュリレンコもアンドレア・ライズボローも共に美しかった。「華麗なるギャツビー」観たかったのだが時間合わず郊外のシネコンで観たのだが、スクリーンが小さかったのでちょっと残念だった。これは大きなスクリーンで観たほうがいい。

* * *

 ところで先日、読売プレミアムで宮崎駿監督の新作映画「風立ちぬ」の試写が当たった(僕じゃないけど)。「オブリビオン」鑑賞前に4分間の映像が流れたが、意外と(?)面白そう。今年の夏は「少年H」もあるし、なんかだノスタルジックな作品が多い印象がする。読売プレミムといえば、AKB48の東京ドームライブもたしかこれで当選したんだった。競争率あんまり高くないのかもしれないな……。

2013年6月13日木曜日

議決権行使をネットでやったら誘導されそうになった


 今年初めてネットで議決権行使をして気づいたのだけれど、議決権行使のウェブサイトには、「会社提案議案全議案に賛・株主提案議案全議案に否」というボタンがある。「今さら?」と言われるかもしれないけれど、これって結構ひどくないか? 誘導がすぎるのではないだろうか? 株主提案なんて、取締役会は得てして反対するもので、僕が株主になっているこの企業もそうなのだけれど、賛否を記して返送するハガキにはこんな項目はない。一つずつ、賛と否のいずれかを丸をつけていかなければいけない。これまでずっとハガキに一つずつ○を付けて送り返していたので、ネットでこんなことになっているとは知らなかった。

 たしかにハガキにも、「(ご注意) 株主提案につきましては、当社取締役会はそのいずれにも反対しております。」という注意書きはある。だけど「一カ所に丸をつければ、株主提案議案だけ反対できる」なんて機能はない。

(ついでにハガキの説明の分かりにくさでいうと、「株主提案に賛成の場合は『賛』に、当社取締役会意見に賛成の場合は『否』に○印でご表示ください」という説明も分かりづらい。そこは「株主提案に賛成の場合は『賛』に、反対の場合は『否』に○印でご表示ください」でいいだろう)。

 見方がズレてるようなら失礼。